俳句

NHK全国俳句大会

 昨年9月25日朝6時35分から放映のNHK Eテレ「NHK俳句」が終る30秒前 流れるテロップに眼一点集中したのが事の始まりでした。
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「平成28年度(第18回)NHK全国俳句大会【題詠は風又は自由詠】に投句締切9月30日消印有効が迫っております」    !!!

 加齢とともに近頃の私は「俳句作りは老いの心の支え」と位置づけて 孤独防止に、退屈凌ぎの為に、無二の境地に浸り苦作と言うよりは句楽に作りたいと心がけるようになりました。

長年の独居生活 寄る年波に押し寄せる孤独と退屈こそ余生の敵、こんな時こそ五・七・五を指折り数え 口遊みながら 自分自身の感性を磨くことで、次第に心身の置き所に落ち着きが感じられるようになりました。
俳句でいまさら他人と競う境地でもないし、楽しむだけでいいと。

 こんな矢先に飛び込んできた人生最初で最後かもしれないと 背中を押されるように、早速インターネットで投句要領と、投句用紙をダウンロードし あと5日しか無い投句締め切りに何とか滑り込みセーフすることが出来ました。
 
 NHK全国俳句大会への投句は、とても敷居が高く 尻込みしていた私も 投句をしたからには淡い期待をいだきながら選句結果を待つこと2ヶ月が過ぎました。

 11月25日 来ました! 来ました!
「入選」のお知らせと大会入場券の封書が届きました。
    

 NHK全国俳句大会入選は たとえシンガリにぶら下がっても、初挑戦の私にとって小躍りするほど人生一大事となった平成28年度(第18回)NHK全国俳句大会は、平成29年1月22日にNHKホールで開催されました。

 こんなチャンスは
二度と無いと、遠路はるばるNHKホールに思い切って鑑賞してまいりました。
 新幹線での上京は十数年の久しぶり しかも八十路単身お上りさんが
無事に辿り着けるのかしら?
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 新幹線を降り複雑な品川駅構内で 右往左往しながら山手線に乗り換え、大混雑の渋谷駅前のバス停で「NHKスタジオパーク行き」直行便を目ざとく見つけて颯爽?と乗車。 
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 初めての「NHKホール」に胸踊らせながら 順調に到着することができました。
案ずるより行くが易しです。

入り口で座席指定券と入選作品集1冊を頂き入場。

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 NHKホール二階 中通路一段上がった見通しの良い席です。

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開会30分前 次第に席を埋め尽くし始めたNHKホール内です。

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 毎年 NHK紅白歌合戦はこの会場で行われるのですから興味津々の私。
昨年の躍動的な2階仮設ステージはこの右手だったのです

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 奇遇にも私の肩触れ合うほどの隣席にはNHKのカメラマンがスタンバイに余念がありません。 思いがけない近影です。
(ここまでの撮影はOK)

 「NHK全国俳句大会」は、NHK学園が昭和57年から開催してきた全国俳句大会が前身で、平成11年からNHKも主催者に加わり今回で18回目となりました。

今年は一般の部の自由題と題詠「風」を合わせて42,996句の投句がありました。
栄えある特選に選ばれた方や 15人の選者の先生方がステージに居並ぶ光景は眩いばかりです。
大会の模様は残念ながら撮影録音禁止です。

総合司会の桜井洋子アナウンサー、特選句披講の鈴木圭一郎アナウンサーの進行で 全選者によって特選作品の披講と選評が和やかに進められながら会場は熱気に溢れました。

この模様は、NHK Eテレで2月11日(土) 15:00~16:13 放送の予定です。

 終了時 満席の入場者一斉退場の大混雑を怖れ 八十路のお上りさんは早目に退場し 渋谷駅までの直行バスに難なく乗車出来ました。
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 渋谷駅まで辿り着けば気持ちの余裕も少々出来て、外国人が驚く渋谷駅前のスクランブル交差点を行き交う人・人・人の波をカシャッと一枚撮りながら
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 渋谷マークシティ2F連絡通路の岡本太郎が1968年メキシコの地で原爆炸裂の瞬間を描いた 縦5.5メートル幅30メートルの巨大壁画「明日の神話」をじっくり鑑賞。  
駅構内の複雑さ! 流石!大東京です。
 
 井の中の蛙の単身お上りさんは右往左往、目を白黒させながらNHKホール全国俳句大会への顛末記でした。

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母を読む 自選自解 (五) 完

○ 母昇天 

 平成17年9月17日午前9時過ぎ、 母はしずかに昇天しました。        

  その夜の中天には、煌々とした満月が母を導くかのように輝いておりました。 

   図らずもその年は、氏神様の秋祭りでした。

97歳の天寿を全うした母を見送るかのような祭り太鼓の響きは、強烈な印象深い通夜でした。

19日の葬儀の日は、ちょうど母の誕生日に加えてその年は敬老の日でした。

 あれほど「帰りたい!  帰りたい!」 と云っていた母。 それも叶えてあげられなかった不孝を詫び居る日々が続きましたが、私と過ごした六年間を喜んでくれた母。  

 三姉妹の中で、夫の転勤で一番遠隔地に嫁いだ筈の私が、夫亡き後、故郷に戻り激動の世の中を何とか生きる事が出来、二人の娘も嫁ぎました。

平成10年には仕事からも解放され、神様のお取り計らいで晩年の母との暮らしが叶ったことは娘としてありがたく、感謝の気持ちでいっぱいです。

      渾沌の母は花野を駆け巡り

      母昇天煌々たる月に導かれ

      母の通夜祭囃子と望の月

      母生れし日は敬老の日に野辺送り

      母の骨拾ひて素風脊を抜けり

      「おとよさま」 とさやかに弔辞賜われり

      葬り了へて母に詫び居る夜長かな

      母逝けり花野に我を残しまゝ

      母逝きて独りとなりぬ月あかり

      十六夜の母よ父に逢へましたか?

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母を読む 自選自解 (四)

○ 母は介護施設へ

 「この家にずーっと居たい!」  とあれほど云っていた母を、腰を痛めた私独りの介護ではどうにもならず、已む無く介護施設のお世話になることになりました。

 平成十七年四月一日のことです。

 「腰痛を早く治してお迎えにくるからね。」 と約束して、満開の桜咲く小高い丘の上の介護施設へお願いしたのでした。

 寂しそうな車椅子の母を振り返り振り返り、こころで詫びながら、ほろほろ散る桜の坂道を下ったのでした。

      花の坂母を預けて振り返り

      母を預けほろほろ泣きて散る桜

      母如何に夕永き刻もて余し

      母は施設へ独りの永き日を余す

      青嵐茶山に母を捨つるがに

      家恋しと母の口癖花しょうぶ

      老ひ母に逢ふて切なき花みかん

      花みかん匂ふ施設の母に詫び

      母を預けし罪を悔い居る若葉冷え

      梅漬けて日ごとに小さき母訪はな

      サクランボ狩り母を忘れる小半時

      垣間見る小さくなりぬ母の夏

      「帰りたい!」 と母より暑中ハガキ着く

      秋めくや家恋ふ母の小さき声

      母お在す施設は遥か野路の秋

      稲穂垂れ介護施設のありがたき

      秋の暮母も手を振り分かれけり

      チゝチゝと母恋ふ我にちゝろ虫

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母を読む 自選自解 (三)

○ 老々介護

 平成15年 母の足腰は日ごとに萎えはじめ、ひ孫のために編んでいたセーターも次第に形を成さなくなりました。 籐椅子に深々体を沈め、しずかに目を閉じ瞑想にふけっているかのような時でさえ、その手は編み棒を操り、ひ孫の姿を思いながらセーターを編んでいるかのようでした。

やがて狭い家の中でも車椅子の生活となって行くのです。

きょうだいの多い中で、母の晩年を共に過ごした私にとって、次第に老いてゆく姿、その過程を暗黙のうちに読み取り、学ぶこともできました。

六年間の私独りの老々介護は、つらいものがありましたが、今となってみれば、心の故郷ともなる懐かしさと、充実感が得られたことは感慨深く、何より有難い事としみじみと思う昨今です。

      蝉しぐれ聞こえぬ母に添ふ散歩

      母すでに童女となりぬシャボン玉

      老母へ繰り言こぼすボケの花

      マンサクに一息入れし老介護

      介護して明け易しかや老ひの身に

      春愁や介護懈怠のしじまあり

      短夜の独り介護の厳しさよ

      いくたびの母を厠へ夜半の冬

      老介護五感鋭き寒夜かな

      母の意に叶わぬ介護寒の水

      老介護厳しさに耐へ寒牡丹

      木の葉髪いとほしむがに朝な梳く

      先見えぬ介護明け暮れ鳥曇り

      介護もて句作に遊ぶ朧かな

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母を読む 自選自解 (二)

○ 母と居て

 平成11年4月、大腿骨骨折の母の看護には丁度仕事をリタイアしたばかりの私が当たり、 「もう一度この足で歩きたい!」 の懸命のリハビリで54日目に母は杖を付いての退院となりました。

 実家での已む無き事情で以来私と母の二人暮らしが始まったのでした。

 明治気質の母は、こちらが根負けする程リハビリには熱心でした。 朝食後と夕方の町内一周の散歩は、雨の日以外は私を急き立てるほど。

月二回の生涯学習の集いには、シルバーカーを押しての参加は欠かしたことも無いほどでした。 お供の私の方があおられるほどでした。

 その頃、私が趣味で始めた陶芸(粘土遊び)に興味を持った母は、朝の散歩から戻ると手ロクロの前に座り、夢中で粘土遊びに興じるようになりました。

たとえいびつでも、温もりのある ぐいのみ・小皿・小鉢など母ならではの小物雑器が二年程の間に相当の数となりました。

 幾種類かの釉薬で焼き上げ、窯から出したばかりのまだ温かい いびつな小物たちを一つひとつ手に取って目を輝かせ眺めていた母。  幾種類かの雑器を組み合わせては袋に詰めて、シルバーカーでお友達へお配りしては、はにかみながらも得意顔の母の姿が懐かしく思い出されます。

      母と居て遥かに日脚の伸びし山

      母と居て陶土と遊ぶ青葉光

      母の手の陶土化身の薄暑かな

      豆飯や母手びねりのいびつ皿

      作陶や日永楽しむ老母娘

      母在れば七十路のわれに春動く

      八つ切りの母の喜ぶ富有柿

      母のもと春七草を刻む音

      老い母と静かに暮らす松の内

      大き鍋母の好物栗きんとん

      葛ざくら母の笑顔を見て足れり

      半夏生母は一途に毛糸編む

      浮草や母の繰り言さからはず

      籐椅子に深々母の寝息かな

      シャクナゲを愛でる小さき母の背ナ

      野菊咲く母の手を取り不動道

      草虱取りつ取られつ母と行く

      秋日和一つ日傘に母と在り

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母を読む 自選自解 (一)

 ○ 母健やかに

 平成17年9月17日 97歳で母は旅立ちました。

娘の私が言うのもなんですが、質実剛健、辛抱強くもの静かな、まさに明治気質の母でした。

 「勿体無い」を実践して人生を全うし、そんな母に育てられた事を今更ながら有難いと思います。

 早くに夫を亡くした私は、四十数年来スープの冷めない実家の近くに住んでいたものゝ、実家には出来るだけ付かず離れずの関係を保っておりました。 

周囲の人たちからは、三姉妹の中でも私が一番母に似ているとよく言われたものでした。 

平成11年88歳の母は、実家の長男夫婦、孫夫婦と三人のひ孫に囲まれ、賑やかで恵まれた暮らしぶりに、嫁いだ私にとっても心休まる存在でした。

  おせち料理のレシピも母は順序よく、こまごまとノートに書き込み、年末には生き生きとした母のエプロン姿がありました。

母亡き今は実家では、母の書き残したレシピを頼りに、二代目三代目の嫁同士のおせち料理作りの笑い声が絶えません。

       花石蕗や寺領歩けば母に似る

       小春日や母の小さき肩を揉み

       障子貼る手さばき母に至らざり

       にこやかに秋の遍路へ母発てり

       朝寒く夜寒く旅の母思ふ

       目を細め老母はひ孫の毛糸編む

       老母を要に実家の年用意

       いつまでも母を頼りの節料理

       老母を囲み賀客の笑ひ声

       福寿草来世も母の娘とならん

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陶芸俳句 ~透かし彫り編~

つぼすみれ透かし彫りランプシェード

Dobaiue1  陶透かし彫る一心に夜の秋

 野分立つ陶土のもろさうべなふも

 透かし彫りの刃先に光る土の冴え

       作陶の透かしに彫りて月おぼろ

       釉薬をスプレーに掛け霧の中

       窯詰めや腰をたわめてそぞろ寒

       おもむろに窯の蓋閉じ月仰ぐ

       窯詰めを了へてちゝろに我戻す

       窯の蓋閉じて良夜に脊を伸ばす

       虫すだく陶窯の火を止めてより

     

       窯出しの逸る鼓動や秋茜

       窯出しの緋色目に染む秋夕焼け

       窯出しの「ピン!」と産声爽やかに

       たまさかの窯変の妙虹立ちぬ

       窯変の一喜一憂や虎が雨

       秋の灯やランプシェードの影の揺れ

       母看取るランプシェードの秋思かな

       秋深しランプの星座を身ほとりに

Sukasitati

  Sukasipatu

  Syuukaidou  

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陶芸俳句 ~雑器編~

土練り三年

       陶工の土粘り三年寒の水

       陶土粘るかそけき腕山笑ふ

       菊粘りの腰定まらぬ薄暑かな

ロクロ挽き

       余寒なほ革命めきてロクロ挽く

       ロクロ挽く眼一点寒の入り

       陶土冴えロクロ挽く手に湯気一縷

       薫風を誘いロクロをひた廻す

       ロクロ挽く手ぶればかりや梅雨に入る

       土と語り春を謳ひてロクロ前

       一塊の土の息吹や春光に

釉掛け

       釉掛けて仰ぐ虚空や梅雨の明け

       釉薬や異彩あまねし夕焼け空

陶雑器

       手び粘りの葉皿に山の錦かな

       一服のひね茶をすする志野茶碗

       清明や彩よく焼けし陶雑器

       作陶の敗者復活下萌ゆる

       沖なますの自慢は天目向付け

       白玉やこの世にひとついびつ碗

       徳利の小鉢めでたき切り山椒

老母は俄か陶芸家

       作陶の老母は一途よ蝉しぐれ

       母の手の陶土自在に春動く

       作陶の無心の母よ春日和

       春萌す(きざす)老母は俄か陶芸家

       興尽きぬ作陶母の手の温し

       母と居て陶土と遊ぶ青葉光

       母の手の陶土化身の薄暑かな

       作陶や日永楽しむ老母娘

       窯出しや母は活き活き春光に

       母は自作を友に配りて日のうらヽ

       豆飯や母手び粘りのいびつ皿

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羽抜鳥ってどんな鳥?

  羽抜鳥・・・(はぬけどり) とはどんな鳥?

 友人が属している俳句会の6月の季題に 「羽抜鳥」 が出されました。   とっさに私は、今どき難しい季題を出された友人はさぞ困惑しているのでは?・・・  私だったらどうしましょう! と思ったのです。

 「羽抜鳥」 ってどんな鳥? 現代っ子はきっとこう質問するでしょう。     おぼろげながらも判っているのは昭和の一桁生まれまでの方ではないでしょうか。  しかも農業とか養鶏業を営んでいらっしゃる処で無い限り、街なかでは見かける事もないのですから、、、、、。

 終戦直後、私がまだ中学生の頃、食糧難に喘いでいた我が家でも、街なかにもかかわらず数羽の鶏を飼っておりました。 大根の葉を刻み、糠と牡蠣の殻の粉末を混ぜての餌係りが私たち姉弟の役目でした。 ある日、鳥肌もあらわにすっかり羽が抜け落ち、鶏冠の色も褪せ。餌も食べずに小屋の隅にキョトンとしているニワトリを見て、死んでしまうのではないかと大変心配したのでした。  母から 「鳥屋ごもり」(とやごもり) と、聞かされました。

 一般に鳥類の羽毛の抜け替わる時期は、春から夏に及ぶようです。 最も身近に鶏がいて、姿も大きいので目に付きます。 今までのふっくらとした羽毛を落として、しわしわの朱い地肌の頸部を露出させ、すっかりやせ細った我が身を疑うように見る己が姿に、おじけて立ち止まって考え込む仕草は、人間から見れば、おかしみの中に、一抹の哀れさを誘います。 後に俳句を学ぶようになって、 夏の季語 「羽抜鳥」・「鳥屋ごもり(とやごもり)」 と知りました。

 それにしても、いまどき「羽抜鳥」を詠めって云われても 「さて、どうしたものか?」 見てきたような五・七・五を読んだとしても、いかにもわざとらしい。   

   例句を挙げてみましょう。

    羽抜鳥身を細うしてかけりけり    高浜虚子

    はばたける朱き腋見ゆ羽抜鳥    山口誓子

    一塊の肉羽ばたきて羽抜鳥     福田蓼汀                

ほとんどの例句は、その目で見た実際の羽抜鳥を詠んだ句が多いのです。  インターネットで最近の例句を調べてみましたが、やはり 「羽抜鳥」の句は極わめて稀でした。「肝心のことを忘れて羽抜鳥」 「子を叱る我が心持ち羽抜鳥」 のように、羽抜鳥を比喩した俳句がやっと見受けられました。

 しかし 羽抜鳥よ! 決してひるむなかれ! 羽が抜け替わった暁には、前よりも姿が立派になる「鳥屋勝り(とやまさり)」となるのですから、、、。

 私は、いま、引き篭もりの「羽抜鳥さん」にエールを贈ります。

   耐えてこそ明日は陽の射す羽抜鳥

   羽抜鳥朝の来ぬ日の夜は無し       ぽち女

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