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木喰仏さま

 前回7月2日にアップした不思議な現象?の記事の最後は デジカメ メモリカードに残されている画像 木喰(もくじき)仏さまのご加護のお陰と締めくくりました。

今回は僭越ですが 木喰仏さまの事を語らせてください。 
下の画像は 問題を引き起こしたあのデジカメにキープされている静岡市 泉秀寺所蔵 【木喰仏】二体の画像です。

Img_2520_2

PCに取り込み トリミングしました。
Cimg95892

 木喰仏さまは、聖と云われ五穀 或いは十穀を断絶しながら 木喰戒修行を積み 僧でありながら名利にとらわれない信仰心篤い世俗人で、甲斐の国丸畑 今の山梨県下部町古関丸畑ご出身の木喰五行上人が、木仏様を彫りながら全国を行脚され、静岡県にも何十体と残されています。
焼津や岡部に多くが残されていることは 承知してはいましたが、先日わが静岡市にも「子安観音」と「大黒天」2体の微笑仏が残されていることを知りました。

 木喰五行上人(もくじきごぎょうしょうにん)は、江戸時代の中期 亨保3年(1718年)山梨県身延・古関丸畑に生まれました。
 45歳の時 木喰戒を受けると共に、日本諸国を巡り歩く願を立て56才遊行聖となって93才(1810年)で亡くなるまで 南は九州から北は北海道と全国隈なく歩き、千体仏手彫の願を立てて 行く先々で木仏像を残されました。

 木喰仏さまのこの画像を見ながら 今から34年前 私50歳 昭和58年(1983年)10月30日の事がまざまざと蘇ってまいります。

【年一回発行の四十雀会の記録冊子
(1980~1991)

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 昭和55年(1980年)に 「よく学び よく遊べ」をモットーに雑学と言う遊びの中に 自分を蘇生させることを目標として発足してから37年経った現在 会長はじめ会員の殆どが既に故人となられた20名限定の「四十雀会」(沖 和雄会長)での野外勉強会で、1983年の秋 桑畑に囲まれた山梨県身延 丸畑部落にある木喰五行上人の生家を訪れた時の事が彷彿と思い出されました。

 木喰五行上人は 山梨県身延・古関丸畑の庄屋 伊藤六兵衛の次男として生まれ14歳の時 家人には「畑仕事に、、」と言って江戸に出奔しました。
22歳で出家し、45才で木喰戒を受け廻国修行に旅立ちました。
 行く先々に残された千体あまりの手彫りの仏像は どれも優しい微笑みの木仏像です。

生家を訪れた私たちに
 上人が残された「四国堂」を開けて 説明してくださった子孫の伊藤さんは、穏やかに語り始め 次第に熱が入り上人と生き写しの荘厳な風貌となっておりました。

 語り終えた伊藤さんは自ら柿を剥き、私達をもてなしてくださり、閑疎な山懐の「四国堂」の中で味わい深くいただきました。

 本栖湖西岸を通り抜け、当時は未だ舗装もされていない峠を超えた甲斐路のあちこちには 熟れた柿がたわわに実っている光景が今でも鮮明に思い出されます。 
 34年前のことでした。

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 木喰上人の旅程の記録は、現存する宿帳などに克明に残されているそうですが、静岡県に入ったのは寛政11年(1799年)11月19日でした。

現在の話題に戻ります。
 ここ静岡市駿河区手越原の曹洞宗小森山泉秀寺には、木喰上人83才 寛政12年8月18日から9月1日まで滞在されましたが 8月22日・23日のたった2日間で2体の木仏様を刻まれました。
残されている一木彫りの福々しい微笑みの「子安観音像」と「大黒天像」です。

 拝謁を願って撮影させていただきました。
あのいわく付きのデジカメに残されている画像です。
【子安観音】
Cimg02362

【大黒天】
Cimg02382

 貴重な体験をさせていただいて以来 私の心のともし火となっております。

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コメント

ぽちさん、こんにちは~
木喰五行上人様のこと、恥ずかしながら私は何にもしりませんでした。
今回もぽちさんに教えていただき感謝しています。
木喰仏さまの温和なお顔に見入ってしまいました。
五穀 或いは十穀を断絶しながらも、93才のご長寿だったということにも驚いています。
その木喰仏さまがいつもぽちさんを見守ってくださっているのですね。
モクレンで有名な藤枝の十輪寺にも木喰仏さまが残されていると知りましたので、モクレンを見に行く時は見せていただこうと思いました。
いいお話をありがとうございました。

投稿: ひろ | 2017年7月 9日 (日) 16時28分

ぽちさん
私も、木喰五行上人様の事を知りませんでした。
作られた仏様の穏やかなお顔を拝見して、きっと
木喰五行上人様の心根が乗り移った仏様なんだと
思いました。

藤枝にあるというのをお聞きして、これは是非見に行きたいと
思った次第です。昔の方は交通の手段と言えば、歩くだけ。
お道具を持って移動されるのは、さぞや大変なことだったろうと
思います。それに長寿だったと言うことも、驚きでした。

ステキな情報を有難うございました。

投稿: みず | 2017年7月10日 (月) 08時35分

♪ ひろさん
 50歳代若かりし頃、四十雀会のお蔭で木喰さんのことを初めて知りました。
当時は二人の娘の進学など大変な時に 丸い顔に優しい笑みの温和な一木彫りの仏様にどれほど癒やされたことでしょう。

そうそう、十輪寺にも木喰仏さまが所蔵されていますね。
毎年ひろさんのブログでハクモクレンの画像を拝見しながら木喰仏さまを連想しています。

投稿: ひろさんへ ぽちより | 2017年7月10日 (月) 10時23分

♪ みずさん
 五穀 或いは十穀を断絶して木喰戒を修行され、93歳まで全国行脚されて、1千体もの木彫りの仏様を残された上人様が、静岡県に残された仏様は60体にも及び 新潟・山梨に次いで全国で3番目に多いそうです。

静岡県内には上人83歳 1799年11月~1800年8月までに60体ですからその偉業に驚くばかりです。

 藤枝の岡部には 十輪寺・光泰寺・常楽院・梅林寺の計7体が残されているそうです。

投稿: みずさんへ ぽちより | 2017年7月10日 (月) 10時47分

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