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江川邸から韮山反射炉へ

 落ち着いた韮山の町を歩いていると あちこちにデフォルメした江川英龍(えがわえいたつ)の姿を映したモニュメントやポスターを目にします。

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この人こそ世に知れた第36代「江川太郎左衛門」です。
江川家は平安時代の末期に 大和の国からこの地に移住されました。
 『江川太郎左衛門』・・・ 伊豆国田方郡韮山(現静岡県伊豆の国市韮山町)を本拠として江戸幕府の世襲代官で 太郎左衛門と 江川家代々の当主を名乗っております。中でも36代の江川英龍がこの人で、一般に江川太郎左衛門と云えば36代のことを指すと云われます。

 代官として活躍した幕末には 欧米の列強がアジアの各地を次々と植民地化した時代で 36代太郎左衛門は 日本の於かれた立場を深く憂慮して、近代的な兵制や西洋の砲術から韮山反射炉製造、兵糧や飢饉に備えて日本で初めてのパンの製造や 江川塾での教育等々 の活動をされました。
 (概略は 江川邸公開事務室発行パンフより)

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重要文化財 江川家住宅(江川邸)の表門を潜れば そこは江戸時代の空間。
今に残る邸宅は 1600年頃に建てられたものです。
 NHK大河ドラマ「篤姫」のあのシーンを思い出して下さい。 
命に翻弄された篤姫お輿入れの時の撮影にも使われた 煌びやかで重厚な玄関だったのです。 (この中は見学する事はできません)

 篤姫お輿入れの映像は 今でもはっきり脳裏に焼き付いており 紛れもない この玄関があの撮影に使われた場所なのかと 感慨深く拝見いたしました。
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 広々とした庭、今では梅林となっている役所跡 韮山城主の北條早雲も美酒とお墨付きの銘酒に使われた井戸も見られます。
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 庭のあちこちに点在する 「きささげ」「けやき」「さいかち」「びらんじゅ」など 当時のままの古樹が はたまた 豊臣秀吉の軍勢が韮山城を包囲した時の砲弾痕や、矢尻が突き刺さったままの門扉も見られます。
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 重要文化財 江川邸主屋は1600年頃に建てられたそうで、平安時代より生えていた「けやきの木」をそのまま柱として利用された「生き柱」は神々しささえ感じられます。
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 高さ約12メートルもの茅葺屋根を支える小屋組の架構は 釘一本も使わず 手斧目の跡も鮮やかに 当時の建築職人の粋が感じられます。
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 遥か屋根裏をよくよく見上げれば 「棟札箱」と云う木箱が微かに見えますが、この箱には日蓮上人直筆の曼荼羅が納められてあり その霊験によって江川邸は 今日に至るまで火災にあったことは無いと伝えられています。
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 土間には江川英龍が日本で初めてパンを焼いた窯や鍋も残されており、
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武器庫には幕末に造られた小銃や砲弾などが展示され、砲弾や焼夷弾に目をやれば 戦時中の少女時代 空襲でパラパラと落下する焼夷弾に逃げ惑った脅威を体験した私は これが幕末の物とは云え 70年前のおぞましい大惨事がまざまざと思い出されました。
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 171年前日本で初めて作られた「パン祖のパン」は非常に硬く 70年前の戦闘戦後時代に珍重され 今でも災害非常食としての「乾パン」の元祖です。

 60分の江川邸見学時間を大幅にオーバーして韮山反射炉に向かいます。
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 世に知れた美しい幾何学模様の4本の煙突「韮山反射炉」を背に ガイドさんの流暢な説明に耳を傾けます。

 36代江川太郎左衛門が幕府の命により 東京お台場に配置する大砲鋳造の為に造った 日本でも唯一現存する 実際に鉄を溶かした反射炉として 今年2015年の世界遺産登録が期待されている 国指定遺跡「韮山反射炉」は 大砲を作るための鉄を溶かす装置です。
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 今から161年前 1854年安政の幕末 黒船来航の頃、36代江川太郎左衛門が幕府の命で 大砲鋳造のための溶解炉を築きました。
4基の炉とお馴染みの4本の煙突に象徴される「韮山の反射炉」です。
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 炉の中の天井は耐火煉瓦でアーチ型に造られ、石炭を1700度に燃やした熱を反射させて銑鉄を溶かし、精製した鉄を鋳型に溶かし入れて大砲を製造したのです。
36代の英龍は反射炉の完成を待たず52歳で死去、3男の息子37代目太郎左衛門(英敏)が完成させたそうです。(長男・次男は夭逝されました)
 親子二代に亘っての文明開化の魁だったのですね。

  * すでにお気づきの
「韮山反射炉」を象徴する 煙突の幾何学模様の鉄枠は、1908年 明治41年に施工され 1923年大正12年関東大震災の大揺れにも耐えられたのです。

  知れば知るほど興味は尽きません。
 この価値を未来へ伝えていくためにも 韮山反射炉を世界文化遺産に登録が必要とされるのですね。  
 

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コメント

ぽちさん、こんにちは~
江川邸や韮山の反射炉について全く知識がありませんでした。
静岡県人としてもっと知っておかなければ恥ずかしいことです。
ぽちさんがわかりやすく解説してくださったことで、ようやく理解ができました。
幕末に反射炉を築いて貢献したのが36代江川太郎左衛門なんですね。
鉄を溶かすものだったのですね。
幕末から明治にかけて、欧米の列強から日本を守ったのは、
薩摩や土佐や長州人だけではないのですね。
いつか大河ドラマでもやってほしいですよね。
是非世界文化遺産に登録してほしいと思います。
そして、日本で初めてパンを作ったとはすごいです。
すばらしいことをたくさん教えていただいてありがとうございました。

投稿: ひろ | 2015年3月 8日 (日) 11時03分

♪ ひろさん
 私だって江川邸のこと、韮山反射炉の事は
中・高校時代の歴史や地理で 概略学んだはず
でしたが、すっかり忘れておりました。

 江川太郎左衛門さんも 36・37・38代も続いた事も知りませんでした。

 関東大震災や、4年前の地震にも
耐えた事も凄い! ですね。

 こうして現地で実際に見聞きでき、
旅から帰って来て、ネットで復習する事も
楽しみです。
 今更ながら有難く思います。

 

投稿: ひろさんへ ぽちより | 2015年3月 8日 (日) 16時19分

ぽちさん
韮山の反射炉が、鉄を溶かすものだと言うことを
初めて知りました。今まであの幾何学模様が魅力的で
絵になるなぁと、思っていたくらいでした。
欧米の列強を許さじと、反射炉を作った
江川太郎左衛門さんは今更ながら、先見の明があった方
なんだったと、ぽちさんのブログで良く分かりました。
江川邸の静寂は、何年も前に訪れたにもかかわらず
今も、鮮明に覚えています。

パンをこの時代に焼いたなんて、凄い人物ですね。
このような先人があって今の私たちの生活が
出来上がっているのだと思うと、感慨深いです。
今日は、この地方の歴史の勉強が出来てうれしかったです。
有難うございました。

投稿: みず | 2015年3月 9日 (月) 14時43分

♪ みずさん
 おっしゃる通り 幾何学模様の4本の
煙突は 写真に撮っても絵になりますね。
 デジカメ初心者 手前味噌ながら
パソコンに取り込んで 改めて眺めました。

 36代江川太郎左衛門のことを
ネットで調べた見ますと おなじみの
大きな眼のモニュメントは、自画像だそうです。

庶民をアッと云わせたパンもさることながら
我が子に初めて種痘をして成功を確認し
種痘接種を広めた事も 素晴らしい功績を
残されたんですね。
私自身歴史を知る良い機会でした。

投稿: みずさんへ ぽちより | 2015年3月 9日 (月) 18時20分

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