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2010年3月

化野念仏寺

 今回の旅のメインは、前回のブログ記事にも載せました「嵯峨大念仏お松明」でした。

京都嵐山の宿に到着するには、日脚も伸びたこともあり、多少の時間の余裕もあって、スケジュール外の 「化野念仏寺」(あだしのねんぶつじ) を詣でる機会に恵まれた事は、いつものお仲間の言行一致は云うまでもありません。

 「化野念仏寺」のことは、毎年地蔵盆の八月二十三・二十四日に行われる 千灯供養の模様をTVで紹介されます。 ローソクをお供えして、無縁仏の霊を慰める 光と闇と石仏が織りなす光景は、浄土を具体的に偲ぶにふさわしいものです。

Photo_2

 なだらかな石畳の階段の先が「化野念仏寺」です。

 地名の「化野」は、はかなく、むなしいと云う意味で、その名の通り春まだ浅い 今にも雨が落ちて来そうな空模様で 尚更にそんな気持ちの処だったのでした。

Photo_6   境内に一歩足を踏み入れると、八千体を数える石仏・石塔は、平安時代の風葬された無縁仏を 明治時代中ごろに掘り集め 現在の姿に祀られ、永遠の別離を悲しみ慰めた処なのです。

 訪れたこの日は、折悪しく しぐれれがかった心もとない空模様の為か、まさに 「賽の河原」にたたずむにも似て、無情の寂しさを感じたのは私だけでしたでしょうか?

     春しぐれ西院の河原にささめきぬ

     (はるしぐれさいのさわらにささめきぬ)

     嵯峨野路はまだ殺伐として春浅

     (さがのじはまださつばつとしてはるあさし)

     化野は葉擦れも虚し竹の秋

     (あだしのははずれもむなしたけのあき)

     八千の石仏寂し春しぐれ

     (はっせんのせきぶつさみしはるしぐれ)

     竹秋の籬整ふ京の寺

     (たけあきのまがきととのうきょうのてら)

 化野念仏寺の奥には、手入れの行き届いた見事な竹林があり、Photo_5

なだらかな坂を上ると平坦な墓地と、

Photo_4  「六面六体地蔵」 が祀られております。

お地蔵さまは身近に拝む事が出来る仏さまです。

地獄・餓鬼・畜生・修羅・人道・天童の世界で、それぞれにお地蔵さまが居られ、人々を救われる姿を現したのだそうです。

時計の針が回るように水を掛け 「オン・カカカ・ビサンマエイ・ソワカ」 と唱えながらお参りをすれば、清らかな水によって成仏の支障となる罪から救われると云うのです。

 なんと清らかな水の音でしょう!

重苦しかった雰囲気のこの地に立って、ふっと我に返えり安らぐ思いでした。

     春浅し水音に耳を傾けば

     (はるあさしみおとにみみをかたぶけば)

     罪障を洗い流して春の水

     (ざいしょうをあらいながしてはるのみず)

     水音にこころの春を疑わず

     (みずおとにこころのはるをうたがわず)

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嵯峨大念仏狂言と釈迦堂のお松明

 春を告げる京都 清涼寺・嵯峨釈迦堂のお松明式は、毎年三月十五日の 「涅槃会」に執り行われます。 大文字の送り火・鞍馬の火祭と並んで、京都の三大火祭として受け継がれております。

 いつもの旅のお仲間と行って参りました。

清涼寺へは夕暮れ時に着きました。 闇にそびえる迫力ある総門に圧倒されます。

 旧暦二月十五日の夜半にお釈迦さまは八十才で涅槃に入られました。

Photo_2  この日は、釈迦堂の狂言堂で 「お松明式」の前に 「嵯峨大念仏狂言」が行われます。  壬生狂言・閻魔狂言と並んで三大狂言のひとつです。

鎌倉時代、円覚上人が庶民に仏の道を説くために演じられたと伝えられます。

 ガンデンデン・ガンデンデンのお囃子での無言劇で、国指定重要無形文化財です。

折よく最終の六時半からの演目 「土蜘蛛」 を観る事が出来た事はラッキーでした。

 「土蜘蛛」のあらすじは、平安中期の武将 源頼光(大江山酒呑童子征伐)は、家来と酒宴を開きますが、気分がすぐれず床に着いてしまいます。 家来たちが控えの間に立ち去った後、頼光の病の原因である土蜘蛛が現れ、太刀回りとなるのです。 騒ぎに駆け付けた家来たちに頼光は、土蜘蛛の退治を命じます。 激しい大太刀回りの末 蜘蛛の首を取り退治すると云うもので、土蜘蛛がパッと大きく糸を投げる場面がこの狂言の見せ場です。

 糸を投げる場面が幾度かあって、手ぐすね引いて見守る観衆は、その都度 大きな溜息にも似た「ウォー!」 と歓声を上げるのです。 

     春時雨女連れ立ち嵯峨狂言

     (はるしぐれおんなつれだちさがきょうげん)

     ガンデンデンと囃す狂言涅槃講

     (ガンデンデンとはやすきょうげんねはんこう)

     春雨も小粒となりて嵯峨狂言

     (はるさめもこつぶとなりてさがきょうげん)

     「ハヤガネ」の狂言に酔ふおぼろの夜

     (ハヤガネのきょうげんにようおぼろのよ)

     狂言の見せ場栄やして春の宵

     (きょうげんのみせばはやしてはるのよい)

 釈迦堂の 「お松明」は、護摩の火にお札をかざして 「お焚きあげ」の後 松明の周りを三週する高張提灯の行列と、朗々とつづく読経のあと、夜八時半一斉に大松明を焚いて、お釈迦さまの荼毘の様子を物語り、その燃え具合でその年の稲作の吉凶を占うと伝えられております。Photo_5

 約7mの高さに組まれた三基の逆円錐形の大たいまつ 早稲(わせ)・中稲(なかで)・晩稲(おくで)に火がともされ、春浅い嵯峨の夜空に勢いよく炎が舞い上がります。

 パチパチと燃え盛る炎に歓声も上がり、熱気で顔もほてり、降り注ぐ火の粉で さしている傘にも焦げ穴が開いてしまうほどです。

 当日の天気予報は、激しい雨脚と報道されて心配しましたが、狂言を楽しんでいる時も、燃え盛るお松明の時も雨も小粒で その炎上する様相は荘厳かつ神秘的で、筆舌に尽くし難いものでした。

     かそけしや高張提灯春時雨

    (かそけしやたかはりちょうちんはるしぐれ)

     涅槃会のやおら火の入るお焚きあげ

     (ねはんえのやおらひのいるおたきあげ)

     釈迦堂を闇に浮かせてお松明

     (しゃかどうをやみにうかせておたいまつ)

     お松明の紅蓮に人垣どよめきぬ

     (おたいまつのぐれんにひとがきどよめきぬ)

     燃え盛る火の粉浴びるやお松明

     (もえさかるひのこあびるやおたいまつ)

     お松明を納め安堵の京ことば

     (おたいまつをおさめあんどのきょうことば)

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五十回忌祥月命日に、、、

 平成二十二年三月九日は、亡夫の五十回忌にあたります。

思えば、1955年(昭和三十年)二十三才の私は三十才の国家公務員と簡単なお見合いで結婚をしたのでございます。  身上書一通、健康診断書一通には胸部レントゲン写真を添付しての交換。  真面目で温厚な性格、健康そうな体躯と国家公務員と云う堅い職業に何のためらいも無く、嫁いだのでした。

 生まれ育った土地を一歩も離れた事の無い私が、親戚も友人もいない、その上新幹線もまだ開通していない遠い地方へ、性格も考え方も何一つ分からないまま、ただひたすら夫となる人に従っての結婚でありました。

 二人の娘に恵まれ、結婚して五年目の三月に健康なはずの夫は突然 「縦隔胴悪性腫瘍」(じゅうかくどう・・・肺と心臓の間 あくせいしゅよう) に侵され、当時がん治療の最先端 「コバルト60」 が新設された第一号患者として臨床。一年後の昭和三十六年(1961年)三月九日に還らぬ人となりました。

Photo   その闘病一年間の壮絶な記録は、私の拙い手作りのエッセイ集 『つぼすみれ雑感』 の中の 「手紙」 にありますが、いまそれを読み返しておりますと熱い涙がこみあげてまいります。

 当時五才と 三才にも満たない二人の幼い娘の養育と 母子三人の暮らしは容易なことでは無かったはずでしたが、日本の国の高度経済成長と、周囲の温かい恩恵で 何とか切り盛り出来た事と、今のささやかながら 安泰の暮らしが夢のようでございます。

  今年も命日にお墓参りに行ってまいりました。

 明るい日差しの弥生三月を、待ちに待って誰しも心弾んで迎えますが、私にとっては、夫の癌発症と永遠の別れの三月は、スギ花粉も飛散する嫌いな月なのです。

     祥月の寒い三月大嫌い

     寂しさと春の寒さを夫の忌に

     啓蟄や寡婦を守りて半世紀

     のどかさを心情として余生かな

 七十七才喜寿の妻が、亡夫の弔い明けとなる五十回忌を執り行うなど 自慢にもなりませんが、世間では 滅多に聞く事はありません。

 このたび、当時三十才そこそこの 若かったころの夫の 「花見弁当を楽しむ遺影」 にならって、弔い明けの五十回忌の法事は、春たけなわの四月中旬に執り行うお知らせを 縁者に投函したところです。

 永かった五十年の歳月が夢のように流れました。

艱難辛苦、喜怒哀楽が走馬灯のように思い出されますが、すべての物事が良い方向に流れて 今の私が或る事は、やはり亡夫の加護あっての事と感謝の日々でございます。

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チョットだけ 海上散歩!

 【淡路島と本州を結ぶ世界最長の吊り橋「明石海峡大橋」を徒歩で海上散歩!】

と云う、このシーズンとしては何と大胆な触れ込みの旅だったでしょうか。

まだまだ寒風吹きすさぶ2月中旬に、海峡を渡る強風に吹き飛ばされてしまうのではないか? この年齢で一体どんな恰好で橋を渡るのかしら? と、元気溌剌婆さんも興味半分 内心不安げに旅の人となりました。

Photo   1998年4月5日に供用された全長3911m、中央支柱1991mを誇る世界最長の吊り橋 「明石海峡大橋」は、本州と淡路島を結び、その主塔の高さは海面上約300m、国内では東京タワーに次ぐ建造物と云われております。

 今回はこの明石海峡大橋に付随する 「舞子海上プロムナード」を散策すると云う事でした。  

                       (な~んだ!)

 「舞子海上プロムナード」のゲートをくぐれば目の前にぱっと展開する明石海峡。 長々と伸びる吊り橋の行く手には遥か淡路島が横たわっております。

 「わァ~凄い! 凄い! 凄い!、、、」を連発 一瞬息を呑む光景です。

往き交う貨物船のエンジン音や、長く尾を引く水脈にさえ旅愁を覚えます。

 「舞子海上プロムナード」は海面からの高さが47m、主塔に上った気分が味わえる8階展望ラウンジから、明石海峡へ突き出した延長約317mの回遊式の散歩道です。

Photo_2   ガラス張りの床面から47m眼下に、迫力満点の明石海峡に思わず足がすくみます。 (余談ですが、この旅のベテラン添乗員さんは、高所恐怖症で、8階展望ラウンジでさえ拒絶されました)

 プロムナードは、ヴォ~ン! ヴォ~ン!と、真上を車が走っているために絶えず振動はありますが、鉄柵や強化ガラスで吹き飛ばされる心配も寒さも無く、アッと云う間の海上散歩でした。

高度成長経済終焉の日本も 「ド偉い事をやったもんですねぇ。 まだまだ捨てたもんではありませんよ」 

     朧なる島へ吊り橋一直線

     吊り橋の長弧描きて春がすみ

     春潮を引き寄せ孤高の吊り大橋

     のどけしや水脈ながながとぽんぽん船

     (のどけしやみおながながと、、、)

     潮曇り往き交う船と春かもめ

     足すくむ直下に滔々春の海

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