しばらく見納めの「姫路城」
しばらく見納めの姫路城を堪能しましょう! と、北野天満宮拝観の翌日は、一路 姫路屈指の観光名所へと旅は続きます。
1993年(平成5年)日本初の世界遺産に登録された姫路城は、平成の大修理で4月11日よりその雄姿が、むこう5年間はお目にかかれないとあって、 「私たちにはこれが最後かもしえないから、、、」 などといぶかしげに呟きながらの参加でした。
白漆喰で塗り固められた姿は、まるで白鷺が飛んでいるかのように見えることから 「白鷺城」 と呼ばれております。 日本の城郭の呼び方は、音読みすると云う事ですから、本来は 「はくろじょう」 と呼ぶのだそうです。
姫路城が 「鷺山」 にあること、白漆喰で塗られた城壁の美しさからとか、その周囲に白鷺が多く棲息していたためにとか、「白鷺城」の名前の由来は様々のようですが、黒い壁の岡山城を 「烏城」 と呼ばれているのに対比してなどとも云われます。
1964年(昭和39年)に、昭和の大修理が完了して、50年は保つと云われていたようですが、45年が経過した頃には 漆喰や木材の劣化が進んだため、白漆喰の塗り替えや、瓦の葺き替え、耐震補強などの補修工事は2014年度(平成26年) に竣工予定、約28億円の見積もりでいよいよこの4月に着工です。
大手門から入場ゲートまで10分、スリッパに履き替えて天守閣最上階までは狭い急勾配の階段を、観光客用に取り付けられた手すりに助けられながら 最上階の第5層までよじ登って、下ってくるまで1時間以上はかかります。
当時の天守閣構造をそのまま残しているために、エレベーターなど有る筈はなく、すべて自力での登城です。
重厚な装束を身につけ、手すりも無い急勾配の階段を 所作も身軽に上り下りする兵。 堅牢な天守閣でも隙間風は容赦なく差し込むし、、、
昔の人はやっぱり凄いですねぇ!
菱門をくぐり さて?直進すべきか、右に進もうか?ためらいつつ 迷路のような通路が広く狭く、天守へは真っ直ぐに進めないように、攻略を惑わせる仕組みになっていることに戸惑わされます。
何より興味深いものに、「いろは、、、」の名前の門の仕掛けです。 たとえば、登城口の 「菱門」 からは、真っ直ぐに 「い」 「ろ」 「は」 の順に進めば天守への順路と思われますが、守り手側に背を向けなければ進めないし、幾つかの天守群の周りを一周しなければ 「本天守」 へは辿りつかないような仕組みとなっているのが分かりました。
登城口の 「菱門」から直進しないで、すぐ右手に進み 石垣に隠されたような 「る」 の門から進めば 天守への近道と云う事もわかりました。 「る」 の門は、非常の場合は土砂で埋めてしまうと云う程の 「穴門(埋め門)」 なのです。
姫路城ゆかりの播州皿屋敷で知られる お菊さん怨念の 「お菊井戸」と呼ば れる古井戸は、この姫路城の上山里(かみやまさと)と呼ばれる広場にあり、怖いもの見たさに覗いてみましたが、枯井戸の底には、観光客が供えたお賽銭が何枚も光っておりました。
幕末に新政府軍に包囲されたり、第二次世界大戦で焼夷弾が天守に直撃されているにもかかわらず、大規模な戦火に晒されたことも無く、阪神淡路大地震にもびくともせず、秀吉出世の拠点のまさに 「出世城」は、今もなお世界に誇る名城なのですね。
「平成の大修理竣工の五年後に また来ましょうね!」 と誰からともなく、溜息混じりの声もありました。
五年後の私たち七十路の無病息災を念じて、、、、。
白鷺城の見納めとかや春の旅
数百年経し城郭の薄霞
冴え返る「いろは」の門の奇々怪々
春光や戦火も知らぬ出世城
春の雨はらりはらりとお菊井戸
春光に賽銭光る井戸の底
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