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2010年2月

しばらく見納めの「姫路城」

 しばらく見納めの姫路城を堪能しましょう! と、北野天満宮拝観の翌日は、一路 姫路屈指の観光名所へと旅は続きます。

 1993年(平成5年)日本初の世界遺産に登録された姫路城は、平成の大修理で4月11日よりその雄姿が、むこう5年間はお目にかかれないとあって、 「私たちにはこれが最後かもしえないから、、、」 などといぶかしげに呟きながらの参加でした。

Photo  白漆喰で塗り固められた姿は、まるで白鷺が飛んでいるかのように見えることから 「白鷺城」 と呼ばれております。 日本の城郭の呼び方は、音読みすると云う事ですから、本来は 「はくろじょう」 と呼ぶのだそうです。

姫路城が 「鷺山」 にあること、白漆喰で塗られた城壁の美しさからとか、その周囲に白鷺が多く棲息していたためにとか、「白鷺城」の名前の由来は様々のようですが、黒い壁の岡山城を 「烏城」 と呼ばれているのに対比してなどとも云われます。

 1964年(昭和39年)に、昭和の大修理が完了して、50年は保つと云われていたようですが、45年が経過した頃には 漆喰や木材の劣化が進んだため、白漆喰の塗り替えや、瓦の葺き替え、耐震補強などの補修工事は2014年度(平成26年) に竣工予定、約28億円の見積もりでいよいよこの4月に着工です。

 大手門から入場ゲートまで10分、スリッパに履き替えて天守閣最上階までは狭い急勾配の階段を、観光客用に取り付けられた手すりに助けられながら 最上階の第5層までよじ登って、下ってくるまで1時間以上はかかります。

 当時の天守閣構造をそのまま残しているために、エレベーターなど有る筈はなく、すべて自力での登城です。

 重厚な装束を身につけ、手すりも無い急勾配の階段を 所作も身軽に上り下りする兵。  堅牢な天守閣でも隙間風は容赦なく差し込むし、、、 

 昔の人はやっぱり凄いですねぇ!

 菱門をくぐり さて?直進すべきか、右に進もうか?ためらいつつ 迷路のような通路が広く狭く、天守へは真っ直ぐに進めないように、攻略を惑わせる仕組みになっていることに戸惑わされます。

Photo_2  何より興味深いものに、「いろは、、、」の名前の門の仕掛けです。 たとえば、登城口の 「菱門」 からは、真っ直ぐに 「い」 「ろ」 「は」 の順に進めば天守への順路と思われますが、守り手側に背を向けなければ進めないし、幾つかの天守群の周りを一周しなければ 「本天守」 へは辿りつかないような仕組みとなっているのが分かりました。

Photo_3  登城口の 「菱門」から直進しないで、すぐ右手に進み 石垣に隠されたような 「る」 の門から進めば 天守への近道と云う事もわかりました。 「る」 の門は、非常の場合は土砂で埋めてしまうと云う程の 「穴門(埋め門)」 なのです。

 姫路城ゆかりの播州皿屋敷で知られる お菊さん怨念の 「お菊井戸」と呼ばPhoto_4 れる古井戸は、この姫路城の上山里(かみやまさと)と呼ばれる広場にあり、怖いもの見たさに覗いてみましたが、枯井戸の底には、観光客が供えたお賽銭が何枚も光っておりました。

 幕末に新政府軍に包囲されたり、第二次世界大戦で焼夷弾が天守に直撃されているにもかかわらず、大規模な戦火に晒されたことも無く、阪神淡路大地震にもびくともせず、秀吉出世の拠点のまさに 「出世城」は、今もなお世界に誇る名城なのですね。

 「平成の大修理竣工の五年後に また来ましょうね!」 と誰からともなく、溜息混じりの声もありました。

  五年後の私たち七十路の無病息災を念じて、、、、。

     白鷺城の見納めとかや春の旅

     数百年経し城郭の薄霞

     冴え返る「いろは」の門の奇々怪々

     春光や戦火も知らぬ出世城

     春の雨はらりはらりとお菊井戸

     春光に賽銭光る井戸の底

 

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北野天満宮参詣と梅苑散策

Photo_4  二月十四日 学問の神様として親しまれている菅原道真公をお祀りしている  「梅鉢の紋どころ」 京都の北野天満宮にお参りしました。

Photo_6  梅の名所として名高い天神様の堂々とした楼門をくぐったすぐ右側には「赤い目の牛」をはじめ、大小いろんなご利益の牛の像が、天神様のお使いとして いたる所に鎮座しております。

     紅梅の紅より赤き臥牛の目

        (こうばいのべによりあかきがぎゅうのめ)

     白梅の影を映して臥牛像

    (はくばいのかげをうつしてがぎゅうぞう)

     神の座も梅咲き初めて賑わしき

     (かみのざもうめさきそめてにぎわしき)

Photo_7  楼門をくぐり 参道をさらに進むと、見事な彫刻が数多く施された重要文化財の「三光門(中門)」が迎えてくれます。

   白梅の殊にあざやか三光門

        (はくばいのことにあざやかさんこうもん)

Photo_8

 拝殿の紅白の帯を下げた大きな鈴を鳴らしての受験祈願・老若男女の参拝客の長い列が、やはりこの季節の風物詩でしょうか。

      受験子も神にすがりて鈴鳴らす

 拝殿の正面に向かって左側に「桜」、右側に「松」が植えられておりますが、紫宸殿の「右近の橘」「左近の桜」のような意味合いはわかりません。

 Photo_10  「東風吹かば匂いおこせよ梅の花あるじなしとて春を忘るな」

 御歌を偲ぶにふさわしく、まだ二分から三分咲きの神苑いっぱいに梅の香りがただよっております。

この時期に参詣できた幸運をしみじみと思います。

     白梅を満面に観る旅人かな

    (はくばいをまんめんにみるたびとかな)

楼門の西側には、約二万坪に五十種類二千本の紅白の梅が、ちらほら咲きはじめた苑内 Photo_12 を、馥郁とした梅の香りまではお届けできませんが、ご一緒に散策をお楽しみください。

 天満宮の西側には、秀吉が築いたと云われる 「御土居」の一部が残っております。

 Photo_13 秀吉は都の守りを固めるために、京都の市街地を囲む土居を築きました。 堤には竹を植え、外側には堀や川を配置しております。 北野のこの辺りは、鷹峰から紙屋川に沿って堤が作られ、今もその一部がみられます。

ほのかに梅の香り漂うこの時季は待ち焦がれた春をさきがけた散策を楽しむことができますが、錦絵のような秋の景色もすばらしいことでしょう。 実に閑静で、整然と整備され、太鼓の形の「鶯橋」の欄干の朱色が、目にも鮮やかでにせせらぎの音が、春近しとなごみます。

     梅香る御土居の朱き欄干に

     (うめかおるおどいのあかきおばしまに)

     せせらぎに日の影躍り春動く

     (せせらぎにひのかげをどりはるうごく)      

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犯人は?

  秋から冬にかけて、燃えるように真っ赤な実を付けたピラカンサスをよく見かけます。

1  ピラカンサスはバラ科の常緑低木で、ギリシャ語で「ピラ」は火、「 カンサス」は トゲ と云う意味だそうです。

 花言葉は「慈愛」 なんと博愛に満ちた優しい植物なんですね。 でも~?

小鳥に食べられないように 毒のあるトゲで自らを守っているなんて、どうして「慈愛」なのでしょうか?  おかしいですね。

 真っ赤な実をびっしり付けることで、小鳥に好まれそうですが、トゲに毒があるために小鳥に食べられることが少ないと云う事で、庭木によく植えられているのだそうです。 お粗末ながら我が家にもありました。

そうなんです。 トゲに刺されると化膿するとさえ云われているのです。 以前私は春先 ニョキッと伸びた枝を選定している時、トゲに引っ掛け 痛い思いを幾度か経験した事がありました。

Photo   ところがです!  確か昨日まで目にも鮮やかに 真っ赤な実を付けていたピラカンサスが、一夜のうちに見るも寂しげに一粒残らず消え失せているではありませんか!

     犯人は誰だ!

 そう云えば、、、前の日の夕暮れ時、最近市街地にもよく見かけますが、 我が家のこの辺りには珍しく、ムクドリの集団が電線に集結しているのに気が付きました。

 群れは小一時間ほど、ねぐら探しに躍起となっているようでした。

今思えば、「この真下のあの木には 明日の朝餉の美味しい実があるから、今夜はこの辺りをねぐらにしましょうよ!」 と相談し合っていたのでしょうか?

 一粒残さず平らげたその日から、ムクドリの群れの姿は見られませんから、犯人かもしれません。

 毒のあるトゲに保護されているはずのピラカンサスの実は 小鳥にとってはやっぱり魅力あるご馳走なのですね。 

Photo_2  すぐ近くに 毒もトゲも無い 「もちの木」にも真っ赤な実がびっしり付いているのに、これには目もくれず 人通りもまだ無い寒い暁方のうちに、ムクドリの集団にピラカンサスは一気についばまれて、見るも寂しい朝を迎えたと云う事です。

 やがて この「もちの木」の実も ヒヨドリやムクドリのご馳走になるようです。

     ムクドリや電線に群れ夕茜

     ピラカンサ一朝に失せ椋鳥(むく)の群れ

     犯人は椋鳥(むく)の群れかもピラカンサ

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川崎大師 初詣

 つい先日ジングルベルで賑わった街角に、一夜明ければ年末年始の飾りに早変わり、百八つの除夜の鐘を聞き煩悩を除去し、気持ち新たにうやうやしく、神社仏閣に初詣。

 あっという間に節分を迎え、そうこうしているうちに間もなく 聖バレンタインを祝い?チョコレートを買いあさり、、、 と、云った具合に日本人は信仰もお祭りも 身の交わし方が実に器用で、活き活きと生活に溶け込んでおります。

 こう云う私も 中高校時代は、カトリックの教えを熱心?に学び、教会にも通いましたが、生家も婚家もれっきとした仏教なのです。

 1月20・21日は初大師縁日、大寒の入りにもかかわらず、この冬初めてのビックリするほどの春のような陽気もあって、川崎大師は善男善女で大変な賑わいでした。

 1813年(文化10年)徳川幕府11代将軍 家斉が厄除けに訪れた年から 厄除け大師として広まったそうで、毎年の初詣の参拝客は全国三指に数えられるほど大変賑わうのです。

Photo   境内のお大師さまのことば (一月)

 一仏の名号を称して 無量の重罪を消し 一字の真言を讃して 無辺の功徳を獲  (いちぶつの みょうごうをしょうして むりょうのじゅうざいをけし いちじのしんごんをさんして むへんのくどくをう)

仏さまの名号 「南無阿弥陀仏」 の六字のほか、菩薩の名を唱えることで、あらゆる罪を消し、真言を唱えることで、広大な功徳を得ることができると云うことだそうです。

 ちなみに、二月のお大師さまの言葉

 教法は本より差うことなし

(きょうほうは もとより たがうことなし)

牛と蛇との飲水の如し 

(うしとへびとの おんずのごとし)

牛は飲めば蘇乳となり

(うしは のめばそにゅうとなり)

蛇は飲めば毒刺となる

(へびは のめばどくしとなる)

 仏の教えは もともと一つで変わるものでは無いが、条件によって飲み水のように状態が異なって見える事から、牛が飲めば乳となり、蛇が飲めば毒に変わる。 つまり、同じものを見ても、その時の状況環境によって 受け取り方が変わる。 お大師さまと共に歩めば、辛い道のりを安心して歩むことができる。

 との教えなのだそうです。

 こんな有り難いお言葉を知ってか知らぬか、門前通りは名物の とんとん「飴切り」の威勢のいいリズムに 囃されながら善男善女の人の波の多さに驚かされます。

     門前通りいずれも元祖初参り

    飴切りのリズムに囃され初大師

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