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2009年6月

丸子路の「モリアオガエル」

 JR静岡駅北口4番バス乗り場から、国道線藤枝行きで 約20分ほど行くと、東海道五十三次で広く知られる 「丸子のとろろ汁」 のお店がありますが、その次の停留所 「二軒家」でバスを降りれは、昨秋このブログでご紹介した 「おおだPhoto たらのお不動さん」への不動道に差し掛かるほんの入り口に 歴史的にも由緒ある 「誓願寺」というお寺があります。

 山門をくぐれば、手入れの行き届いた苑に、見事な藤棚が今では涼しい木陰となって、しばしの憩いの場所となっております。

 Photo_2 「誓願寺」は、建久年間(1190~1199年)に、源頼朝の両親追善のために建立されました。 天文年間(1532~1555年)の丸子城の戦火で類焼しましたが、永禄11年(1568年)駿府へ進出した武田信玄がこれを惜しんで再建したものです。

 また、大阪冬の陣を起こしたいきさつの舞台となったところです。

 慶長19年(1614年)の大阪冬の陣に続いて、翌元和元年(1615年)5月の大阪夏の陣で、豊臣家は滅んでしまいました。 境内には、豊臣家の重臣 片Photo_3 桐且元(かたぎりかつもと)夫妻の墓 二基が、子孫の片桐石見貞昌(かたぎりいわみのかみさだまさ)によって建てられております。

 ちょっとお硬い話から始まりましたね。

 ところで、この寺の本堂右側には、目に鮮やかな柿若葉や、ユーモラスな藤の実の垂れる棚の下には古池があり、「モリアオガエル棲息の池」 として訪れる人が多い事でも知られております。

 Photo_4 モリアオガエルは、伊豆天城山八丁池に棲息していたのを、昭和天皇が命名された天然記念物です。  この古池こそ「モリアオガエル」の珍しい産卵風景を見る事ができる池なのです。

 珍しい産卵風景を見たくて、6月初旬に行ってまいりました。

誓願寺のこの池にも、数十年前から集団で棲息が見られ、5月初旬になると裏山からのそのそと現れ、この古池の真上に茂る樹木に 白い泡状の液体に包まれたソフトボールほどの大きさの産卵が7月頃まで見られます。 

 泡のなかには無数の小さな卵が泡を栄養源として成長し、1週間から10日間ほどで、オタマジャクシとなって池の中に次々と落下して行くのです。

2  私が出掛けた当日は、生み付けたばかりらしく、柿の若葉とのコントラストも美しく光り輝き、産卵の様子や孵化の瞬間のオタマジャクシの姿にはお目に掛かれませんでした。

 

     

     葉隠れにモリアオガエルの泡の毬

     (はがくれにモリアオガエルのあわのまり)

     モリアオガエルの性産卵は枝の先

     (モリアオガエルのさがさんらんはえだのさき)

 モリアオガエルの姿さえ中々出会う事も出来ませんが、ここまで確認したからには、何としても孵化の様子を見たいものです。

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喜寿を祝うクラス会

 今年五月半ば、 中・高時代のクラス会がありました。

 Photo  一泊二日の日程で 「喜寿を祝うクラス会」 と銘打って、広大な庭園と、数寄屋造りの近代日本の巨人画伯の名前から頂いた熱海の懐石の宿で旧好を温めたのです。

 思えば私たちが中学に入学したのは1945年(昭和二十年) まさに戦争末期の頃でした。

 入学して二ヶ月半、静岡大空襲で、自宅のみならず、趣ゆたかな母校も戦火に見舞われました。

 何もかも失った敗戦で、艱難辛苦を共にした中・高六年間に授かった母校の教育あればこそ、今の私たちがあるものと、今更ながら感慨にふけったのです。

  あれから五十八年、私たちは七十七歳の「喜寿」を迎えました。

少女の頃の面影ある方、お顔と名前がなかなか思い出せない方、懐かしい再会です。

     庭滝や喜寿祝ぎ合ふてクラス会

     (にわたきやきじゅほぎあふてクラスかい)

 激戦下の中での入学百五十名が、六年後の卒業時には百四十一名となりました。  あれから幾年月、物故者は十八名を超えます。

 Photo_3 久方ぶりの再開で、誰もが少女の頃に戻り、思い出話に興じます。

「喜寿祝いクラス会のお知らせ」 には、喜寿を迎えるにあたり、それぞれの思い入れの漢字一字を出欠席の返事に添え書きの提案がありました。

 三十二名出席の当日 夕食会も盛り上がり、いよいよ 「漢字一字」 のご披露がはじまりました。

欠席ながら回答された五十二名を加えて以下の通りです。

 喜 ・ ・ ・ 12     健 ・ ・ ・  8     

 幸 ・ ・ ・  6     和 ・ ・ ・  4    

 穏 ・ ・ ・  4     愛 ・ ・ ・  3

 風 ・ ・ ・  3     波 ・ ・ ・  3     

 夢 ・ ・ ・  2     学 ・ ・ ・  2     

 寿 ・ ・ ・  2     歓 ・ ・ ・  2

 凡 ・ ・ ・  2     恵 ・ ・ ・  2     

 命 ・ ・ ・  2

 雅  信  平  今  友  謝   美   爽   祈 佳  生  希  優  悠  忍  旅  努  短  進  紡  戦  など

 私は、「健」  健康は人間生活すべての基本、ベスト・コンディションです。 今日まで、これと云った大病も怪我も無くこられたからこそ、来春には喜寿の私は 病で逝った夫の五十回忌を迎えます。 

      「健康は何にも優る宝です」

 戦中戦後の艱難辛苦をなめ、いま喜寿を迎えた 「はらから」 の、ほとんどの来し方は、幸せに感謝の思いで まだまだ前向きの人生を楽しんでおります。

「こうして集う事が出来た私たちは幸せ者!」 お互いの健康を祈り、再会を約束して三々五々の散会となりました。

  Photo_2 大正・昭和のロマンあふれる、市街地とは思えない程 みどり豊かな庭園を備え、幾多の文豪たちに愛された熱海の文化遺産 「起雲閣」 の見学もできました。    モダニズムな建築様式に多彩なカルチャーの発信スポットです。

     

     ロマン溢る館や薄暑の風に座す

     (ロマンあふるやかたやはくしょのかぜにざす)

     クラス会名残の袖の夕薄暑

     (クラスかいなごりのそでのゆうはくしょ)

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富士山静岡空港開港

「遠い地平線が消えて、深々とした夜の闇に心を休めるとき、はるか雲海の上を音もなく流れ去る気流は、たゆみない宇宙の営みを告げています。 満天の星をいただく果てしない光の海を、ゆたかに流れゆく風に心を開けば、きらめく星座の物語も聞こえてくる夜の静寂(しじま)のなんと饒舌なことでしょうか。   光と影の境に消えていった遥かな地平線も、瞼に浮かんでまいります」

 ナレーションは、十数年前に星となった城達也さんの 「ジェット・ストリーム」のテーマ曲 「ミスター・ロンリー」   城さんの静かに語りかけるCDを聴きながら、空の旅に誘われ私は心地よい眠りに就くのです。

  Photo 開港予定を、土地権利者の立木問題が県知事の辞職にまで追い込んで、3ヵ月遅れの6月4日 晴れの日にはその名にふさわしい雄大な富士山を背景に、狭い日本の地方都市、ここ静岡にオープンしました。

 開港してまだ日も浅いある日、JR静岡駅北口 11番乗り場より 「しずおかジャストラインバス」に乗り込み、50分かけて空港着(片道\1000) を利用して新空港の見学をしてきました。

  空港ビルは、想像していたよりもはるかに こじんまりして、僅かながら国際Photo_3 線の定期便もありますが、世界都市へは「アジアの玄関口」には程遠く、アシアナ航空、大韓航空、日本航空のいずれも上海・仁川空港経由しての渡航です。

目下、ソウル、上海、台北、香港などを中心に、アジア太平洋地域への路線就航に向けて各航空会社に要請中だとか、、、。

 Photo_2

 開港間もない事もあって、満席の往復のバスは、大半は見学者 (当然私自身も見学者の一人です) と見られます。

Photo_4  まぁ! それにしても数少ない飛行機の離着陸の瞬間を見たさに、展望デッキ に張りめぐらされている金網に、何時間もしがみ付く見学者でひしめく光景は、ウィークデイでもこのありさまです。週末、祭日は如何ばかりかと思いやられます。

 静岡に空港を造ることが決まったのは、20年余り前のことでした。

今から8年ほど前の事、幾多のの試練を抱えながら、空港建設工事が着々と進む状況をTVで見ていた認知症が進み始めた90才を超えた母は、「空港ができたら私が留守番をするから外国へでも行ってきてちょうだい!」  と云い残して3年前に亡くなりました。  そんな母の言葉を懐かしく思い出しながら空港を後にしました。

     

     空港を統べて夏富士治まりぬ

     (くうこうをすべてなつふじおさまりぬ)

     富士の名の空港開く五月晴れ

     (ふじのなのくうこうひらくさつきばれ)

     六月の宙へ展けし滑走路

     (ろくがつのそらへひらけしかっそうろ)

     大空へ託す余生や夏の夢

     (おおぞらへたくすよせいやなつのゆめ)

狭い日本に 99 もの空港があるとか、、、

経済不況と云う逆風の中で、「日本一の富士山」 の名に恥じない魅力溢れる静岡の空の玄関として発展しますように、、、

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学習あればこそ!

 人生行路 「パソコンは老いを知らない!」 は、一昨年五月にブログデビューし、見切り発車、試行錯誤、迂回しつヽある時は楽しみ、ある時は戸惑いながら二年を綴る事ができました。  

 この二年間で延べ二万六千余人のお客様にご覧いただけた事は何より嬉しく、励まされたことでした。  ありがとうございました。

 なにせ後期高齢独り暮らし故に、これと云う真っ当な事も出来ず、唯々心身ともに健康である事と、いかに退屈を凌げる一日を送れるかが私の最大の課題でした。  勿体ない日々です。

 デジカメをぶら下げながらの散策、一日の何時間はパソコンに触れ、楽しむ事が出来たのは、この年齢になって今更ながら、生き甲斐にも通じるものがある事と嬉しい限りです。

 TOKAIパソコン教室での学習あればこそ、ここに至る事が出来ました。

インストラクターのY・Nさん ご指導有難うございます。

 今年十月になれば私は七十七歳の喜寿を迎えます。 この充実の一年間と同様、これからの一年も健康で退屈せずに過ごす事が出来ますよう、気張らずブログを続けらますよう念じつヽ。

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