« 2009年4月 | トップページ | 2009年6月 »

2009年5月

オペラ 「愛の妙薬」

パヴァロッティ演ずるオペラは、数あるレパートリーに素晴らしい高音を響かせ、それぞれの役柄を見事に演じきって、聴衆の大喝采を浴びております。

 Photo 適役中の適役、オペラ 「愛の妙薬」 の動画をYou Tube へご提供 (Movo Thomas ご登録のSeimaさん) の6カットは、このブログへの埋め込みは成りませんでしたので、それぞれのアドレスを表示しました。 クリックの上、十分にお楽しみください。 日本語訳の歌詞、それぞれの胸の内が理解できる素晴らしい動画です。

 『愛の妙薬』 はガエターニ・ドニゼッティが1832年に作曲された全2幕のオペラです。  物語は、惚れ薬「 愛の妙薬」 をめぐる、他愛もないコメディですが、オペラの中では時折、哀愁ただよう 心に沁み入る音楽もある不思議な魅力あるオペラです。

〇 主な登場人物

* アディーナ(ソプラノ) 地主の娘、頭も良いが高慢な美人

* ネモリーノ(テノール) 単純でちょっと間抜けな男で、アディーナに思いを寄 せる貧しい農夫 (パヴァロッティならではの味のある名演技)

* ベルコーレ(バリトン) 見るからに頼もしい若くて野心満々の軍曹

* ドゥルカマーラ博士(バス) 口達者なイカサマ薬売り

* 村人の合唱 ほか

〇 19世紀 イタリアのある小さな村の収穫風景場面

(カッコ中の数字はそれぞれの動画 所要 分:秒です)

1 (9:59)前奏曲のあと、幕が上がり葡萄の収穫で賑わう村の広場。

ネモリーノは美しい娘アディーナへの思いを独白します。 「なんて可愛い娘だろう! 見れば見るほど好きになる! でもあの人には僕の気持が伝わらない。どうしたら僕の気持があの人に分かってもらえるのだろうか?」 

 美人で高飛車な娘アディーナは 「トリスタントとイゾルテ」 の本を村人たちに読み聞かせています。 トリスタンの飲んだ惚れ薬で恋に落ちたイゾルテ姫。 そんな薬があったらいいなぁ! と陰でそっと聞いていた純粋無垢な若い農夫ネモリーノ。 

『何と彼女は美しい!』  (ネモリーノ演ずるパヴァロッティの聴きどころ)

http://www.youtube.com/watch?v=NY_-2rItZJs

2 (5:00)野心満々の軍曹が現れ、権力にかまけて 彼女を誘うのを傍で悔しそうにする農夫ネモリーノ。 彼女は軍曹に惹かれるが、彼女はじらす。軍曹は自信満々。 農夫は闘志を燃やす。

http://www.youtube.com/watch?v=F0DqOTTccTI

 (8:12)その気になって軍曹は立ち去る。 農夫は更にアディーナに云い寄る。 しかし、、、「あなたは内気だしダサイから、軍曹の方が好いのよ!」と、これもじらす。 悶々とする農夫 「どうしても君を愛せずにはいられない!」と、切々と訴えるが、彼女にジラサれる。

http://www.youtube.com/watch?v=x-Vcww2_h1o

 (9:59)万病の特効薬を売るイカサマ博士に、農夫はイゾルテが飲んだ「愛の妙薬」だと、だまされ、安物のワインの壺を手に入れる。 一口飲んで「素晴らしい!  僕は元気が出てきたぞ! 、、でも彼女から云い寄られるまで気をもませよう!」  そこへ軍曹が再び現れて、アディーナと明日結婚しようと云い寄る。 イライラする農夫。 三人はそれぞれの心境を歌う。

http://www.youtube.com/watch?v=T3ksUKV6jZ8

 (9:39)軍曹とアディーナの婚礼の場で、なぜか誓約をためらうアディーナ。 事態挽回を図る農夫ネモリーノは、さらに妙薬が欲しいがお金が無い。 仕方なく恋敵の軍曹の部隊に一兵卒として入隊、給料を前借して妙薬をもう一本購入して飲み干し、眠りこんでしまう。 一方アディーナを除く村娘の間で、農夫の伯父の巨額の遺産を 農夫ネモリーノが相続すると云う噂が広がり、村娘たちは玉の輿を夢見る。

http://www.youtube.com/watch?v=TxnNsjwdmjg

6 (9:52)酔いから醒めたネモリーノは、自分が村一番の人気者になっていて驚く。 これも、妙薬の効き目だ! と大喜び! 一方 アディーナは、自分も本当はネモリーノを恋していると悟り 彼に告白し、二人は村人たちに祝福され結婚。 ドゥルカマーラ大博士の 「愛の妙薬」 の効能を一同で称賛して幕が下りる。

 オペラ「愛の妙薬」切ってのアリア 『一筋の涙 』 は、パヴァロッティの最も得意とする名場面です。 

http://www.youtube.com/watch?v=5AEa8-B0bRE

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「パヴァロッティ・マイ・ワールド」 ご紹介

Photo  今年松の内も明けたころ、石戸谷結子著 「オペラ歌手はなぜモテるのか?」(文芸春秋1996年) を読んでいるうちに、いつの間にか敬愛するルチアーノ・パヴァロッティにすっかりのめり込んでしまいました。

 週一回のブログ投稿が、五ヶ月もパヴァロッティについて語ってしまったことは、正直わたし自身が驚いております。 これも自叙伝 「パヴァロッティ・マイ・ワールド」 (小学館)の恩恵によるものが大きく、ここに改めて本書のご紹介をさせて戴きたいと思います。

 アメリカのジャーナリスト、ウィリアム・ライトがパヴァロッティに直接語ってもらった様々なエピソードを、カニリカが訳し、白埼容子監修により1996年6月20日 小学館から初版第1刷発行されました。

 ウィリアム・ライトは、時には世界を駆け回るパヴァロッティを追い、またある一時期パヴァロッティと生活や行動を共にしながら、身辺出来事をパヴァロッティ自身の言葉で書き記しております。

Photo この画像 左が共著作者ウィリアム・ライト氏 右は秘書のニコレッタ・マントヴァーニさん                                        

 華やかなオペラ舞台の波瀾万丈の裏話、大らかな性格の根底には、神経質すぎるほどの健康管理、庶民的な温かい家庭でたっぷり過ぎるほどの愛情に包まれ、女性に囲まれ、ハーレムのような人生を、太陽の国イタリア人らしく語っております。   末娘ジュリアーナさんの病気に対する父親としての気遣い、一期一会の貧しい少年への温かなエピソードは、映画のひとコマのように思い浮かばせてくれるのです。

 すべてのエピソードから、人間らしい温もり漂うパヴァロッティの死が今更ながら惜しまれ、偲ばれ、この著書はファンにとっては見逃せません。

 五ヶ月に亘って 「パヴァロッティ・マイ・ワールド」 のほんの一部に触れてみました。 500ページにも亘る18章にも及ぶ様々な視点からなるエピソードは、歌手を目指す人にもさることながら、パヴァロッティを知らない人にも興味深い話題が満載です。 この本の最後に掲載されている見過ごす事ができない、監修白埼容子氏の解説に、1995年10月アメリカでの初出版でベストセラーとなり、その後の半年間の短い間にも、パヴァロッティの身辺に起きた個人的なゴシップなど興味がそそり、敢えてこの画像をとくとご覧になりながら、ご想像いただくくほかありません。

 私の真情としましては、パヴァロッティを語るのはここまでとして、晩年の 「悩めるパヴァロッティ」 のことは黙認したいと思います。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

パヴァロッティ最悪の出来事

 TVやラジオでパヴァロッティの歌を聞いて 随分と慰められた人は 世界中に何億人もいるのではないでしょうか。

 「憂鬱でみじめで自殺さえしたくなる! と云う人から 救われた! と手紙をもらった時こそ たまらなく嬉しく、問題を抱えている見ず知らずの人たちを、ほんの少しかも知れないが, 救ってあげられることは素晴らしいことだ!」 と、パヴァロッティは自叙伝に書いております。

 現に独り身の私も、あれこれ落ち込む時にはパヴァロッティの歌声にどんなにか救われたことでしょう!

 世紀の大テノール歌手パヴァロッティにも幾つかの不幸な出来事がありました。  オペラ歌手として成功し、金銭的な悩みが消え一安心すると、別の問題が山のように待ち構えている、、と云うのです。

 自叙伝 「パヴァロッティ・マイ・ワールド」 によれば、、、

 ’92年~93年 ミラノ・スカラ座での 「ドン・カルロ」 公演初日、アリアの大事なところでパヴァロッティ自慢の高音がひっくり返って、観客席からブーイングの嵐が浴びせられ、失敗した場面がTVで世界中に放映されてしまった事とか、以前このブログでも書いた 故郷モデナでの 「口パク事件」 の不幸な出来事なのですが、仕事の上でおきる問題は健康の問題と比べればそれほど重要なことではないと云っております。

 パヴァロッティの最悪の出来事とは、1984年に末娘ジュリアーナさんの原因不明の重病のことです。 この一年間にイタリア中の病院を訊ねましたが、原因不明のまま状態がひどく悪いのが分かりながら、ご夫妻は不安を募らせ、失望ばかりが深まり、ひどく取り乱しておりました。

 ’68年まだ駆け出しのパヴァロッティのサンフランシスコでのコンサートを聴きファンレターを贈った17才の少女。 彼女の父親が名医であったことが、一家に明るい兆しをもたらせました。

 そんなご縁で、ニューヨークの名医の執刀により手術は大成功でした。

 顔の筋肉がコントロールできなくなる神経系の珍しい 「強度の筋無力症」 の診断が下されたアメリカの医師に診断を仰ぐまでの失望感や、後遺症も無く家族全員が安堵の胸を撫で下ろすまでの苦悩の数々、取り乱す様子など、愛娘を思う父親の心情を赤裸々に語る場面など真に迫り、手に汗握ります。

 こう云う時ほど、健康でありさえすれば他に何もいらない! と誰でも思います。

 その後ジュリアーナさんは、健康を回復し、ますます美しく その気になればポピュラー歌手としても成功するかもしれないし、体験した物理療法を学んだり,

体育のインストラクタを目指したり、いろんな才能に恵まれ  お幸せそうです。

Photo  手術後、健康を取り戻した三女ジュリアーナさんと一緒にハンモックでくつろぐ父親パヴァロッティの笑顔は、ステージで歌い終えた満足感の笑顔とは異なる幸福感に充ち溢れる最高の笑顔です。

     ハンモックに転び綻ぶ父と娘と

     (ハンモックにまろびほころぶちちとこと)

     風薫る快癒に睦む父娘かな

     (かぜかほるかいゆにむつむおやこかな)

| | コメント (2) | トラックバック (0)

一期一会 パヴァロッティの思い出

 その1

 世紀の大テノール パヴァロッティのことを 誰もが知っているわけではありません。

故郷イタリアにおいてもです。

1987年 PBCで放映のTV 「パヴァロッティ・リターンズ・トゥ・ナポリ」 の屋外場面を撮影する時、現場の準備ができるまでパヴァロッティは車の中で待機しておりました。 すでに噂が広まっていたらしく、車の周りには人だかりができておりました。

近くで10才にも満たない男の子が、飲み物の屋台の店番をしながら人混みを眺めておりました。 そのうち屋台から離れ、車の近くまでやってきてパヴァロッティに窓を開けて欲しいと仕草で云いました。 窓を開けると少年は「みんなが見ている貴方は一体だれなんですか?」 と聞いたのです。 「ルチアーノ・パヴァロッティだよ」  少年は「その名前は知っているべきですか?」 とでも言いたげに肩を揺すりました。 パヴァロッティは「テノールでオペラ歌手なんだ!」 

少年は「オペラの事は知らないよ!」   「三日後にこの町でコンサートをやるんだ。 私の招待客として観に来るかい?」  「うゥ~ん。 朝の八時から夜の九時まであの飲み物屋台で番をしなきゃならないんだ! 母さんの云いつけなんだ!」   パヴァロッティはますますこの少年が気に入って、母親を説得するから電話番号を教えて欲しいと、、、 しかし彼の家には電話が無く、近所の家の電話番号を教えてくれました。

 母親にその旨を話すと、礼儀正しく 「ご厚意は感謝しますが、彼がコンサートに行くことはできません。 他にこの屋台の番をする者がいないのです」

 パヴァロッティは説得につとめましたが、彼女の気持ちは変わりませんでした。

Photo_2 

その2

 パバロッティがメキシコ・シティで、黒塗りの立派なベンツを借りて、貧しい人たちが住む地域を走っていた時のこと、幼い少年がパンを売りに来ました。 物売りにしてはまだ幼すぎる5~6才の男の子の姿に心を打たれたと同時に、こんな幼い子に物売りをさせる! と云う怒りもこみあげてきました。

運転手に車を止めさせ、メキシコの通貨を少し受け取ると少年が車に近づいてきました。 パヴァロッティは窓を開けおカネを渡しパンを受け取りました。  少年はパヴァロッティを見ると驚いた顔をして、ゆっくりとつぶやきました。

     「パヴァロッティ!」

 「スタジアムを埋め尽くした観客席から大声で名前を呼ばれるのは気持ちがいいが、この貧しい衣服も顔も汚れた まだこんなに幼い少年が私を知っていてくれた事は何物にも代えがたい喜びでいっぱいだった!」

 この二つの一期一会の記事は、まるで映画のシーンのようで、思わず涙が頬を伝わります。 自叙伝「パヴァロッティ・マイ・ワールド」で大変な感銘を覚えた一編です。

     幼気な児に名を呼ばれ風薫る

     (いたいけなこになをよばれかぜかおる)

| | コメント (2) | トラックバック (0)

天安門広場で自転車を乗り回すパヴァロッティ

 1986年、中国国務省文化部の招聘でパヴァロッティは二週間の滞在の為に、歌手、オーケストラ、コーラス、何人かのジャーナリスト、それに友人と母を除く家族など総勢300人と舞台装置、衣裳、2回のコンサートの為の音響装置、全員の荷物に加え、現地では手に入らない食糧(イタリアの町一つを一週間分養えるほど)、ミネラルウオーター1500本、ホテルの部屋で料理が作れる道具や冷蔵庫に加え、この旅行のドキュメンタリー映画を作るための二人のプロデューサー、スタッフ、撮影機材も一緒にボーイング747に積み込んで中国に渡ったのでした。

 出発前にはキャスト全員でローマに行き、法王に公演旅行の安全を祈祷して貰うほど、パヴァロッティは信心深いのです。

 「法王自ら賜るご加護に優る保険は無い!」 と。

 なにせ初めての中国入りのこと、真夏の熱気漂う空気も別世界だったそうで、中でも印象に残った北京の最初の風景は、物凄い数の自転車に圧倒されたのでした。 床に穴が開いているだけのトイレにもビックリ仰天したことは云うまでもありません。 

 「郷に入れば郷に従う事です。もし私が否定的な発言をすれば、同行の全員が文句を云い始めるだろう。 文化の違うところへ行けば私自身が文句を云わない事がたいせつです。 私たちがやろうとしている文化交流という目的の重要さに比べれば取るに足らない事!」 と。

 なんと素晴らしいアーティスト気質でしょう!

Photo_3  劇場にはエアコンが無く、とてつもない暑さと、汗かきの彼には大変な苦痛のようでした。 そんな中、誰かの差し入れで、手に持てるほどの電池式の小さな扇風機が、命を救ってくれた! と、この小さな扇風機の考案者に感激したのだそうです。

     パヴァロッティもはしゃぎ手中の扇風機

      (パヴァロッティもはしゃぎしゅちゅうのせんぷうき)

 公演の合間に、西洋人の耳に張りつめられ、不自然に聞こえる京劇にも、パヴァロッティは大変な興味を抱き、衝動的に自分にもやらせて欲しいと頼んだのです。 メイクアップをしてもらい、着付けをしてもらうまで4時間もかかろうとは知らなっかたが、いったん始めたからには後には引けません。 悪霊退治の守護神のような姿で舞台に出て、一場面を即興で演じました。 後日、撮影された映像を見たとき彼は、「どの歌手が自分なのか分からないほど物まねが上手かった!」  と、自画自賛。   自叙伝「マイ・ワールド」にもこの映像が見当たらないのは残念です。

 この旅のドキュメント映画の撮影中、製作者の注文で、撮影のためにパヴァロッティの動きが欲しいと云われ、体重は思いが、いつもベーサロの別荘で乗り回している自転車乗りを提案。 通りすがりの学生に自転車を借りて、天安門広場をぐるぐると回り、「あァ! 私は中国で自転車に乗っているんだ! わたしはうれしくて止める気もしなかった!」 と夢中で走り回ったのでした。

 国務院文化部の指示で、パヴァロッティの身の安全にも責任を持たされていた通訳ウー氏は、北京の町を自転車で走り回っているパヴァロッティを見て、引きつけを起こしそうになったそうです。

  少年のような髭面のおじさんの単独飛行!           ご無事でよかった~!

Photo_2  ベーサロの別荘で日課にしている自転車を楽しむこの写真を とくとご覧ください。  巨体をのせた自転車が今にもパンクしそうです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2009年4月 | トップページ | 2009年6月 »