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2009年1月

もうひとつの特技

 オペラの役柄が趣味になったのでしょうか? それとも趣味がちょうど役柄に合って、オペラの舞台に立派に役立っていると云う、紛れもないパヴァロッティのもうひとつの特技があります。

「画家として霊感が授かった!」 と云う添え書きで、石戸谷結子さんの著書のなかで、1989年に来日し武道館でコンサートを行った時、同時にパヴァロッティの絵の展覧会も開かれ、彼のリトグラフが一枚 数十万円と云う高値で売られていたそうです。

大胆な色使いと構図。 素朴と云うか原色を使った単純明快な立体的な絵なのだそうです。 この著書の中で紹介された、うねり狂った大海原の帆船を描いた絵画はモノクロで、色彩のほどは分かりませんが迫力があります。

 2_2 ご愛用の極彩色のスカーフのような色使いは、パヴァロッティの象徴かもしれません。  ぜひ拝見したいものです。

その時の記者会見で、「絵は僕のこころです。自分の絵のパワフルな色使いが好きなんです」 とおっしゃったとか。

 あの誰でも知っている 「オ・ソレ・ミオ」 を高らかに歌い上げるパヴァロッティは、永遠に沈まぬ 「イタリアの太陽」 として世界中のファンを虜にしました。

 パヴァロッティが絵を描くようになった切っ掛けは、 43才の1978年サンフランシスコで、プッチーニのオペラ 「トスカ」 のカヴァラドッジ (トスカに恋する画家) を演じる前夜、ファンからアクリル絵の具の入った箱と、カンヴァスをプレゼントされ、「その夜は中々眠れず体がほてり、部屋中を歩き回っているうちに不思議な事がおこりました。 絵を描きたいと云う衝動に駆られたのです。 プレゼントの画材で絵を描くことに没頭し、9時間も描き続け完成した時にはリラックスして穏やかな気持ちになり、以来絵の虜になってしまったのです。」 と。

2_3  学校の成績は美術だけは落第点スレスレだったそうですが、不思議な体験から取りつかれたように絵を描き、時には歌うことよりも素晴らしいと思う事もあった! ようです。

それもその筈、パヴァロッティ演じる 「トスカ」 の画家 カヴァラドッジ役のDVDを見れば、絵具で汚れたスモックを羽織り、パレットと筆を手に、教会のマリア像の壁画を描きながら トスカへの恋心を切々と歌い上げる場面など、あのダンディで恰好よすぎるドミンゴが演じるよりも本物の画家に見えるのです。

     風邪癒えて妙なる調べ流れくる

         (かぜいえてたえなるしらべながれくる)

 

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興味津々でごめんなさい!

Photo  くちさがない まことしやかな風説に 「パヴァロッティは、楽譜が読めなかったのでは?」 という私にとって聞き捨てならない事を,何度か耳にした事があります。

前出の、石戸谷結子さんの著書によると、

パヴァロッティは、当初楽譜は苦手で、耳から覚えたと云われております。 音楽学校出身ではなく、独学や個人教授について学ぶ人がイタリアの歌手には結構多いようですが、パヴァロッティが、「楽譜が読めないというのは、所見で音が読み取れない」 と云う意味で、もちろん楽譜を読む事などパヴァロッティにとっては当然のことです。

 2005年9月12日のBBCインタビューの中で、「オーケストラの総譜はほとんど読めないけれど、テナーと、ピアノ伴奏のパート譜なら完璧に読めるよ!」 と語っていたと、フリー百科事典 WIikipedia (ウィキペディア) のHPにありました。

 イタリアのモデナ生まれで、パン職人の父親は才能あるアマチュア・テノール歌手です。 素晴らしいDNAを受け継いでいるのですね。

 天才のパヴァロッティと云えども、最初から一流歌手となったわけではありません。

 可愛らしいではありませんか!  6歳のときテーブルの上にのって 「歌手になるんだ!」 と叫んだという逸話が残っております。 と云うものヽ、プロの歌手になるまでには紆余曲折がありました。 父の所属する 「ロッシーニ合唱団」 で歌っていたこともあるし、サッカーに熱中した時期もあったようです。

19歳の時に人生最大のターニングポイントがやってきて、師範学校を卒業する直前 「得意だった数学の先生になるか、もうひとつ得意だった体育の先生になるか、子供のころ叫んだテノール歌手になるか?」  先生になるには、ローマの専門学校に入らなければならないし、故郷を離れるのが嫌で、テノール歌手の道を選んだと云われております。

 生活のために、保険会社の外交員の仕事を始め、声楽の個人レッスンを受けながら、苦しい生活のために仕事とレッスンの合間に、小学校の代用教員もしました。

 人に会って話をし、説得するという保険外交の仕事が、自分の資質に合っていると云う事で、眠れる才能に火を付け、たちまち優秀な成績で収入も倍増したと云います。 あの親しみある笑顔と説得力が強い武器だったようです。

 天才パヴァロッティも、努力を惜しまず、若いころの経験が後のキャリアにも大いにプラスになったのでしょう。

 ’95年に制作されたドキュメンタリーで、パヴァロッティの言葉に

「何か困難に出合った時は、逃げずに真正面から立ち向かうこと。 それしか解決の方法は無いね!」   

また彼の人生訓に 「人が10回やる事なら、自分は100回やる。 そうすれば人より抜きんでる事ができる。 その粘り強さが大切なのです。」                  

なんと素晴らしい言葉でしょう!

石戸谷さんの著書で、こんな逸話をはじめて知った私の驚きは大変なものでした。       

  「キング・オブ・ハイC」  ”神に祝福された声” と評された20世紀後半のクラシック音楽界のスーパースター!

 思わず目頭が熱くなるのを抑えることができませんでした。

今回は畏れ多くて、五・七・五を作るには至りませんでした。

 興味津々、ミーハーと云われてもよいのです。    後期高齢独り暮らしの楽しみですから、、、、、

「パヴァロッティって知らないよ!」 とおっしゃる方、思い出してください!

 2006年トリノオリンピックで輝かしいチャンピオンの氷上の花 荒川静香さんが演じた 「トゥーランドット」 の 「誰も寝てはならなぬ」 を、オリンピック開会式で歌い、開会式に花を添えて、オペラファンを増やすきっかけになった あの偉大なテノール歌手です。 

 翌2007年9月6日 71歳で死去されました。

  悲しみに耐えません。  ご冥福を祈ります。   

受け売りですが、パヴァロッティのエピソードはまだまだ続きます。

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オペラ歌手のエピソード!

 ここ三年ほど楽しんできた年末年始を温泉で過ごす事も、一人欠けたり不都合があったりで、今年は久しぶりに自宅で新年を迎えることになりました。

 元旦早々のインターネット初検索で、肩の凝らない面白い本でも捜そうと、無作為にキーを叩いていた時、目に飛び込んできたのが1996年文芸春秋社から刊行された 石戸谷結子さんの 「オペラ歌手はなぜモテるのか?」 。

 実は装丁のイラストと云い、タイトルと云い食指が動くこの読み物を捜すことに躍起となっておりました。 出版社のホームページを隈なく当たったものヽ既に廃刊と云う事態に半ば諦めかけていた矢先、「検索」 の効果で、新品本が何と39%の安価でしかも、即刻出荷と云うメールが届きました。 

 自宅に居ながらにして入手できるとは!  思わず 「、、、、春から縁起が良いわい!」 と叫ばずにはいられません。

     樂の音にこころ満たさる叔気かな

    (がくのねに こころみたさる しゅくきかな)

 前置きはこれくらいにして、、、

 Cimg0160 和田誠さん装丁の 「三大テノール」 のイラストが何とも楽しく、和田誠さんならではの品格の表現は流石です!。

 著者の石戸谷結子さんは、早稲田大学を卒業後1985年まで音楽の友社で、その後はフリーランスの音楽ジャーナリストとして執筆活動を続けておられます。

 1996年刊行のこの書物は、2007年に惜しまれながら亡くなった ルチアーノ・パヴァロッティが、まだバリバリのオペラ歌手時代に執筆され、さまざまの視点で裏話などが、赤裸々に暴かれて?いるのです。

神様的存在のパヴァロッティのどんな事でも知りたがっていた私にとっては、当然のことながら、こころ躍らせながら読んだ事は云うまでもありません。

 あァ! やっぱり!  著者は当然のことのように プラシド・ドミンゴ をベタ褒めに褒めちぎっているのです。

 世界で最もモテル男性の一人で、三大テノールとしてファンを分け合っているけれども、堂々とした体格に甘いマスク、官能美豊かな甘い声と云う最大の武器。 加えてドミンゴ周辺の誰もが口を揃えて、「ドミンゴほど優しくて、周りに心配りの人はいない!」 と云う。 「モテ過ぎる」 と云う以外は悪い評判など聞いた事はない。  ドン・ジョバンニを地でいくような、来日した時のエピソードに、「両手両足、目と言葉で口説く」 ドミンゴの鮮やかな活躍ぶりは、外国からやって来た取り巻きの華やかなマダムたち、日本で知り合った美しいご婦人の間にも 「本当にお見事だった!」 と書かれているのです。 

 確かに女性は高く澄んだ声のテノールに弱い。まして、彼の官能的な甘く澄んだアリアなど聴けば、女性ならず誰しもうっとりとして仕舞うのです。

 私の敬愛して止まない ルチアーノ・パヴァロッティ、 母性愛をくすぐる ホセ・カレーラスについて、著者の語る興味溢れるエピソードはいずれ、、、

     憂きことも樂に助け支ふ去年今年

    (うきことも がくにすけごう こぞことし)

     去年今年余生あまねく樂に連れ

    (こぞことし よせいあまねく がくにつれ)

     聴き初めのときめきいたる彼のアリア

    (ききぞめの ときめきいたる かのアリア)

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桜えび

Photo  「桜えび」は、世界的にも希少な海の恵みとして知られ、国内でも駿河湾のみに水揚げされております。

幾筋もの河川から清らかな流れが駿河湾に注ぐ駿河湾独特な構造が 「桜えび」 の育成にたまたま適しているのだそうです。

この画像は、水揚げしたばかりの淡いピンク色の透明な生を、釜揚げにした桜えびです。

 駿河湾に小さな美しいさくら色のエビがいる事は、江戸時代から漁民の間に知られていたようですが、明治27年12月、鯵の夜曳きに網を浮かせておく 「浮樽」を忘れたのに気付いた漁師が、仕方なく浮樽なしに網を下ろしたところ何と網に一石余りの桜えびが入っていたのです。 これを機に桜えび漁は一気に盛んになり駿河湾特産として全国に知れ渡るようになりました。

 春・秋のシーズンに雄大な富士山を背景に、繰り広げられる 「桜えび」 の天日干しの風景を、12月26日の秋漁終了までに一度見たいと、終了日直前の夕方、穏やかな湾へ出漁したと云う 由比漁業協同組合の情報を得て、翌早朝 加工業者に天日干しの確認をして、いそいそと出かけました。

Photo_3 JR静岡駅から上り6駅目 「新蒲原駅」 で下車し、タクシーで富士川河川敷に到着した時は、私が思い描いていた以上に感動的な光景でした。

 タクシーの運転手さん曰く 「お客さん! いい時に来られましたね! 桜えび干しに絶好の こんなに良い日和は一年にそう何回もあるものではありませんよ!」

(上の絵は、富士川河川敷の桜えび干し風景のパソコン水彩です)

一点の雲も無い澄み切った青空のもと、目の前に迫る雪をいただく大きな富士山を背景に、河川敷一面 「日天さま」 に干された桜えびの淡いピンク色とのコントラストの美しいこと!

数人のプロカメラマンも撮影に余念がありません。

Photo_5  昼前には程よく乾き、二人組んでの取り込み作業も この時期ならではの恰好の風景です。

日没から深夜にかけて漁をする桜えびの 生の美味を味わえるのは、地元周辺の人たちの特権ですが、カルシュウムなど栄養豊富な桜えびのかき揚げは、これまた格別の味わいがあり、お蕎麦をいただくときのトッピングに最高です。

     一湾を統べ冠雪の真富士かな

     桜えびの絨毯に座す雪の富士

     小春日や肌透きとほる桜えび

     桜えび朱を冠雪の富士を前

     冬麗の富士へ燿よふ桜えび

     桜えび小春日和の香を放ち

     桜えび冬麗富士にかしずかれ

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