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2008年4月

母を読む 自選自解 (二)

○ 母と居て

 平成11年4月、大腿骨骨折の母の看護には丁度仕事をリタイアしたばかりの私が当たり、 「もう一度この足で歩きたい!」 の懸命のリハビリで54日目に母は杖を付いての退院となりました。

 実家での已む無き事情で以来私と母の二人暮らしが始まったのでした。

 明治気質の母は、こちらが根負けする程リハビリには熱心でした。 朝食後と夕方の町内一周の散歩は、雨の日以外は私を急き立てるほど。

月二回の生涯学習の集いには、シルバーカーを押しての参加は欠かしたことも無いほどでした。 お供の私の方があおられるほどでした。

 その頃、私が趣味で始めた陶芸(粘土遊び)に興味を持った母は、朝の散歩から戻ると手ロクロの前に座り、夢中で粘土遊びに興じるようになりました。

たとえいびつでも、温もりのある ぐいのみ・小皿・小鉢など母ならではの小物雑器が二年程の間に相当の数となりました。

 幾種類かの釉薬で焼き上げ、窯から出したばかりのまだ温かい いびつな小物たちを一つひとつ手に取って目を輝かせ眺めていた母。  幾種類かの雑器を組み合わせては袋に詰めて、シルバーカーでお友達へお配りしては、はにかみながらも得意顔の母の姿が懐かしく思い出されます。

      母と居て遥かに日脚の伸びし山

      母と居て陶土と遊ぶ青葉光

      母の手の陶土化身の薄暑かな

      豆飯や母手びねりのいびつ皿

      作陶や日永楽しむ老母娘

      母在れば七十路のわれに春動く

      八つ切りの母の喜ぶ富有柿

      母のもと春七草を刻む音

      老い母と静かに暮らす松の内

      大き鍋母の好物栗きんとん

      葛ざくら母の笑顔を見て足れり

      半夏生母は一途に毛糸編む

      浮草や母の繰り言さからはず

      籐椅子に深々母の寝息かな

      シャクナゲを愛でる小さき母の背ナ

      野菊咲く母の手を取り不動道

      草虱取りつ取られつ母と行く

      秋日和一つ日傘に母と在り

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母を読む 自選自解 (一)

 ○ 母健やかに

 平成17年9月17日 97歳で母は旅立ちました。

娘の私が言うのもなんですが、質実剛健、辛抱強くもの静かな、まさに明治気質の母でした。

 「勿体無い」を実践して人生を全うし、そんな母に育てられた事を今更ながら有難いと思います。

 早くに夫を亡くした私は、四十数年来スープの冷めない実家の近くに住んでいたものゝ、実家には出来るだけ付かず離れずの関係を保っておりました。 

周囲の人たちからは、三姉妹の中でも私が一番母に似ているとよく言われたものでした。 

平成11年88歳の母は、実家の長男夫婦、孫夫婦と三人のひ孫に囲まれ、賑やかで恵まれた暮らしぶりに、嫁いだ私にとっても心休まる存在でした。

  おせち料理のレシピも母は順序よく、こまごまとノートに書き込み、年末には生き生きとした母のエプロン姿がありました。

母亡き今は実家では、母の書き残したレシピを頼りに、二代目三代目の嫁同士のおせち料理作りの笑い声が絶えません。

       花石蕗や寺領歩けば母に似る

       小春日や母の小さき肩を揉み

       障子貼る手さばき母に至らざり

       にこやかに秋の遍路へ母発てり

       朝寒く夜寒く旅の母思ふ

       目を細め老母はひ孫の毛糸編む

       老母を要に実家の年用意

       いつまでも母を頼りの節料理

       老母を囲み賀客の笑ひ声

       福寿草来世も母の娘とならん

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帯状疱疹 私の場合 -その2-

 三月中旬、例年ならば四十年来付き合ってきた 「スギ花粉症」に日夜悩んでいる筈の私ですが、今年は早めの対策でその症状はほとんど見られず、ほっとしていた矢先のことでした。

 三月初旬ごろから、左肩甲骨あたりと左脇周辺に違和感を覚えましたが、さして気にもせず、奈良東大寺の「お水取り」の旅を楽しみました。 年のせいか多少の旅の疲れもありましたが、平穏無事な日常生活を過ごしておりました。

 三月十七日起床、着替えの時、 「おや! 左脇部に小粒ながら赤い発疹が!!」 瞬間 「ひょとして 帯状疱疹かも?」 とっさの判断で病院へ駆けつけたのです。  案の定 帯状疱疹です!。

 「どうして! どうして!」  三年前に介護の母も送り、嫁いだ娘たちも幸せに過ごし何の悩みも無い気ままな独り暮らしの私に、、、!

 即、入院か? 点滴注射か?

主治医先生は、「加齢による免疫力の低下で、沈黙していたウィルスが暴れだしたでしょう。 今は特効薬がありますから心配ありませんよ。」 とさりげなく仰り前述の薬を処方してくださり、自宅治療と相成りました。

 ところがです! 翌日から左後頭部が激しく痛みだしたのです。

その痛みを表現すれば、頭の中で突然 「キャッ!!  ズキン ズキン!!」と稲妻がた走るのです。

 「先生! この痛みだけをなんとかして下さい!」

一日三回までの鎮痛剤にどれほど救われたことでしょう。 痛み止めが効いている間は日常生活は平静を取り戻します。

 後頭部の激痛は三日間で無くなりましたが、ピリピリ、ヒリヒリの疼痛は、左患部に定着し、発症してから一ヶ月あまりが経過しました。

 鎮痛剤が劇薬であることから、ストレスを起こさない程度に服用を次第に減らし、多少の痛みはあるものゝ、一日ごとに文字通り 「薄紙を剥がすように」 快方の手応えを感じます。

若年層ならもう治る頃でしょうが、後期高齢者は、もう少しの辛抱のようです。 願わくば、後遺症の 「帯状疱疹後神経痛」 にならぬよう願うのみです。

 今夜もゆっくりお風呂で温まりましょう。

     加齢とは悲しきものよ! シジミ汁

     疼痛を何に例えん春の雷

     春雷のたばしる痛み夜もすがら

     病む者に花の便りのうとましき

     外にも出よ! 桜便りを病むわれに

     未だ癒えぬ霞の中をさ迷へり

     ヘルペスの痛みを耐えて四月馬鹿

     薄紙をはがす痛みを花だより

     足かせの痛み融けゆく朧の夜

     疼痛の治まりゆくを桜餅

     投薬に我が身預けて名残花

     病む我を待たず桜の散りゆくを

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帯状疱疹 私の場合 -その1-

 健康が唯一自慢の私がこの三月中旬帯状疱疹に襲われました。shock

発症の場所は胴、顔面、頭、腿、口中など人によって様々ですが、私の場合は左肩甲骨から脇の下を経て左上腕部分 つまり振袖部分に赤い細かな発疹に気が付き、  「スワッ! 一大事!!」   未だ痛みはありませんでしたが、主治医の許へ駆けつけたのでした。

以下○印の説明は、主治医先生と、インターネット検索により纏めてみました。

 ○ 帯状疱疹とはどんな疾患でしょうか?

 一般に帯状疱疹(ヘルペス)は、子供のころ罹病した水ぼうそうのウィルスが、何十年も神経細胞の中で眠っていた後、突然暴れだして起こる病気だそうです。  子供のころ水ぼうそうになった事がある人は、誰でも体の中にこのウィルスを持っているのですから怖いですね。

 私の亡き母も、80歳代で、姉は50歳代、弟は2年半前に罹病しております。また、友人知人、その家族の方など、患った方が余りにも多い事も大変な驚きでした。

 ○ 発症の仕組み

 健康な時は、体の中の神経節の周囲に潜伏している帯状疱疹ウィルスは、体の免疫力が低下する病後、ストレス、加齢などの時に突然暴れだします。

帯状疱疹の場合は、一生に一度発症するだけの人がほとんどですが、最近の研究で免疫不全の場合、再発する人もある事が解ってきました。

 ○ 水疱瘡と帯状疱疹の関係と症状

 水疱瘡・帯状疱疹はその名の通り、幼児期には水痘をおこし、加齢や免疫力が低下したとき再活性化して、このウィルスが神経を通って皮膚に出てくる時に神経に沿って激しい痛みを伴って、赤いプツプツが発生します。 水疱のできる範囲も神経の分布する領域と一致して、体の片側だけに帯状の発疹の配列がみられます。

水泡は、1~2週間増え続け、水泡が破れて潰瘍状になりますが、やがて乾燥してかさぶたとなり、3~4週間ほどで次第に治るようです。

 ○ 治療方法

 軽い場合は、鎮痛剤の内服だけで自然に治癒する場合もあるようですが、ウィルスの増殖を止める特効薬の抗ウィルス剤が開発されていますので、早期に病院に行って治療する事が肝心と云う事を身をもって体験しました。

いづれにしても抗ウィルス剤には、点滴注射、内服薬、塗り薬があるようですが、私の場合は、内服錠剤1日3回を12日分と、患部への塗り薬を処方されました。

 ○ 対症療法

 消炎鎮痛剤で炎症、疼痛の軽減が基本のようですが、激しい痛みを伴う場合は、用法を守っての併用はするべきと思います。

ビタミンB12などの併用もよいと云われます。 帯状疱疹後の神経痛を防ぐポイントは、局所の血流を減少させないことですので、入浴が効果的のようです。

 (引続き、痛みとの付き合い方を4月21日に掲載の予定です)

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2000年の老桜

 4月5日、NHKラジオ3時台の関西土曜ホットタイムで、「山梨県武川村 山高 実相寺の神代桜も、衰えはしたものゝ樹木医の懸命の介護の許で、今年も見事に満開となりました!」 と云う放送に思わず  

 「わぁー 凄い! あの桜が今年も見事な満開に、、、!!」

 思えば22年前のこと、Aさんのグループに誘っていただいて、山梨県武川村の小高い山高地にある 「実相寺」 の日本で最も古いと云われる 「神代桜」 のお花見に行った事を昨日の事のように思い出しました。

1305  日本三大桜 (国指定天然記念物 岐阜県根尾谷の 「淡墨桜」、福島県三春町の 「三春滝桜」、山梨県武川村山高の 「神代桜」 ) の一つであるこの桜は、日本武尊が、東夷政定の折りにこの地で、記念に植えられたと伝えられていますから、すでに 2000有余年の大樹です。

 「神代桜」 は、根元の周囲・樹高が13メートルを超え、枝張りも堂々と30メートル余りに及び、瘤だらけの太い枝は、コンクリートの支柱にしっかりと支えられ、根元にぽっかりと空いた大きな虚は、大人一人が楽に宿れるほどの洞穴を備えております。

 大正11年に国定天然記念物に指定され、昭和に入り暴風雨に遭遇して主幹が折れ、やがて根元から 蘖 (ひこばえ)が四方八方に伸び、天空に聳え、一本の木がまるで森のように繁り、老巨木の姿は決して老醜では無く、むしろ神韻縹渺としてこんにち更に堂々と咲き誇っております。

 この一本の大樹に、花を求めて春を謳歌し、惜春を覚えた昔の人々の面影が偲ばれます。  この辺りの土中には、幾世代にも亘る先祖のこぼした花見の酒や、賑わいが染み込んでいる事でしょう。

 陽に輝くように、甍にゆさゆさと影を投げかけて、小指の先ほどに膨らみ始めた日面の蕾は、瞬きするうちに開花を急いでいるのがはっきりと見て取れます。

    少女らが瞬くたびに木の芽ふえ    林 翔

 こんな句がピッタリするほど、幹も枝も栄えて、神の座を取って代わって春の恵みを施す場所となっているのです。

 峰々の鋭く光る雪嶺を背景に、青春を取り戻した小鳥たちのさえずりで、里はすっかり春の色です。

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中欧4カ国世界遺産の旅 ~16~ 完

○ ドナウ川 ~下~

 カルスト状の割れ目に吸い込まれ、一旦地下に姿を消したドナウが、40kmを経て再び姿を現すなんて、夢を語るにふさわしい現象に思い入れがなおのこと募ります。

 ドナウは、シュヴァルツヴァルトからひたすら東に向かって流れます。  アルプスの山麓から始まって、ライン川は西に流れ大西洋へ、ドナウ川は反対に東に流れ黒海に注ぎます。

ドナウ川とライン川の源流がほぼ近い場所にあるなんて新しい驚きでした。

 ドナウは、東欧・中欧8カ国 (ドイツ・オーストリア・チェコスロヴァキア・ハンガリー・ユーゴスラヴィア・ルーマニア・ブルガリア・ロシア) を全長2840kmと云われますから、ほぼ日本列島の長さに匹敵する長い長い川です。

Donau  ドナウ川に沿う多くの都市にも、それぞれの文化・歴史が刻まれていて、そこに住む人々、また訪れる旅人は、その歴史の重さを感じるのです。

Visyegurado_donaugawa  ヨハン・シュトラウスが 「美しき青きドナウ」 を世に送った1867年頃は、この辺りのドナウ川は現在見られる光景とは随分異なっていたようです。 

 幅5kmに亘って三つの流れに大きく分かれ、そこから更にいくつもの小さな流れが網の目のように広がり、その中に横たわる中洲は岸辺まで欝蒼と茂る緑に覆われていたようです。

   ウィーン少年合唱団の天使の歌声が聞こえてきました!!

 ♪、、、 ドナウよ! かくも青く

        谷や緑野を貫いて

          お前は静かに波打ち 流れ

           我らのウィーンはお前に挨拶する

        銀に輝くお前の帯は 国と国を結びつけ

          お前の美しい岸辺では

            喜びの心が高鳴っている  ♪、、、

 ドナウが流れる各国は、ドナウによって発展し、ドナウ沿岸共和国のようなもの。  平和と共に悠久の青く美しいドナウ川を願ってこの旅を終わります。

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中欧4カ国世界遺産の旅 ~15~

○ ドナウ川  ~上~

 中学生のころ初めて聴いたイヴァノビッチの「ダニューブ川のさざ波」や、ヨハン・シュトラウスの「美しき青きドナウ」の音楽で、終戦直後の荒廃しきった風潮の最中、どんなにか心慰められ、未来への希望に胸をときめかせたことでしょうか。

 以来ドナウ川のゆったりとした流れ、緑を縫って悠久の流れに人々の心の故郷となったドナウ川を、曲の織りなす情景に思いを巡らし、いつしかドナウ川への憧れとなりました。

 今回の中欧4カ国を巡って、この川に連なる幾多の都市国家に、それぞれの歴史としてしっかりと刻まれ、すべてがドナウから都市が発展たことなど、ドナウによってその歴史の重さをずっしりと感じ取ることができたのでした。

 「中欧4カ国の旅」 の思い出の終わりに、淡い恋心のようなドナウ川は、なんと変幻自在の大自然そのものであった事を、私なりに綴って、この旅の完結としたいと思います。

   (下のドナウの地図は、金子忠治氏の中欧オペラ紀行よりいただきました)

Donauriver_2  ドナウ川の源流は、ドイツ アルプスの山麓、シュヴァルツヴァルトと云われる森林地帯にあるそうです。

 モミの木の深い森林地帯の東斜面にドナウエッシングと云う人口2万人ほどの田舎町に源泉があると云う事で、ドナウの名は、この町から始まるそうです。

 町の中央にフェルステンベルク侯の館の庭にドナウの源泉があります。

ドナウの源泉については、鳩時計の生産で知られる町、フルトヴァンゲンとで本家争いの説もあります。

 源泉争いに夢中になっている人々をあなどっているかのように、生まれたばかりの小さな流れは、カルスト状の河床の割れ目に吸い込まれ、僅かな水溜りとなって川の姿は消えてしまいます。

 地下に姿を消した幼いドナウの水は、南へ40kmのアーハ川の源となって、地上に現れる事が確認されました。

(資料はインターネット・書籍によりました)

      ~つづきは次回にゆずります~

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