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ロシア世界遺産の旅 ~16~

○ 大黒屋光太夫 (1751~1828) ~上篇~

 エカテリーナ宮殿見学の折りに、またしても、イコン画家山下りん同様、その昔ロシアに関わり合いのあった日本人、大黒屋光太夫の事を、ブログを編んでいる間に私は、山下りんとの感動と同じように大変な興味を覚えたのでした。

 井上靖の小説 「おろしや国酔夢譚」 などで、世間一般はご存知の事でありますが、わたし個人としては山下りんさんの事同様に恥ずかしながら、詳しくは存じ上げませんでしたので、さっそくインターネットで調べてみました。

Koudaiu  画像は光太夫と磯吉 北槎聞略より

 現在の鈴鹿市、伊勢の南若松村に生まれた光太夫は、32歳の1783年 天明2年12月9日、回船の仕事に携わり江戸に米や木綿を積み込み、光太夫ら総勢18名を乗せた神昌丸は、4日後に駿河の沖で突然の嵐に遭遇、操縦不能のまゝ半年以上も漂流する事となりました。

やがてアリューシャン列島のアムチトカ島に漂着したのです。

この寒さ厳しい島で8人の仲間が亡くなりました。

4年後この島にラッコの皮を獲りにきたロシア人に遭い、一行はカムチャツカ半島のロシア人の町 ニジニカムチャツカに連行されました。 光太夫らは、日本に返してほしいと役人に嘆願したのですが、鎖国中の日本には簡単には聞き入れられず、願いは不認可となりました。

 1788年 漂流してから5年後、生き残った6人は帰国をシベリア総督に願い出るために、イルクーツクへ橇で8ヶ月を要して、バイカル湖のほとりのイルクーツクにたどり着いたものゝ、シベリア総督の色よい返事は得られませんでした。このニジニカムチャツカでも3人の仲間が亡くなっています。

 残った失意の6人に手を差しのべたのが、フィンランド出身の植物研究学者 キリル・ラクスマンでした。

ロシアの科学アカデミーの会員に名を連ねていたラクスマンは、イルクーツクで、光太夫らと知り合い同情し、自分と一緒に首都ペテルブルグまで行って皇帝に直接帰国の認可の支援を願い出ようと誘います。

              つづきは次回をお楽しみに、、、

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