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ロシア世界遺産の旅 ~17~

○ 大黒屋光太夫  ~中編~

 1791年 一行を代表して、光太夫がラクスマンとともに速橇でイルクーツクからペテルブルグを横断したのです。

1788年にカムチャツカからイルクーツクまでの4000kmを8ヶ月もかかって横断したのに、ラクスマンのソリは、6000kmを2ヶ月で横断できたのでした。

Koudaiubronz

 ← 大黒屋光太夫像 (稲垣克次作)

 現在 三重県鈴鹿市若松小学校と

     市役所にあります。

 ペテルブルグでラクスマンと光太夫は、皇帝エカテリーナ2世に二度の謁見に成功しました。 皇帝は彼らに同情するとともに、これを機会に、かねてから考慮していた日本との交易を実現したいと考えて、ラクスマンの息子の アダム・ラクスマン陸軍中将(当時26才)に遣日使節を命じて、光太夫と共に日本に赴くよう命じたのです。

 この時点で、イルクーツクで6名のうち九衛門が亡くなり、庄蔵はシベリア横断の際の凍傷が原因で片足を切断、新蔵も重病と不安からロシアに残る道を選び、新蔵はロシア人女性と結婚しました。

 光太夫・磯吉・小市の3人だけが帰国の途に就くことになり、オホーツクの港から エカテリーナ二世号と名付けられた船に乗り、漂流から九年半の寛政四年 (1792年10月20日) ラクスマンに伴われてようやく根室港に 光太夫・磯吉・小市の3人が帰国したのでした。

 3人のうち小市は、根室で病死しており、この時引き渡されたのは、光太夫と最年少の磯吉の2人だけでした。

 18名の乗組員は最後には2名となって、実に漂流から九年半の異国での厳しい年月を経て、念願の日本の土を踏んだのでした。

             つづきは次回にゆずります

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