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2007年12月

ロシア世界遺産の旅 ~13~

○ 白夜のサンクトペテルブルグ

 2006年7月 おりしも小泉総理出席のロシアサミットが、こゝサンクトペテルブルグで開催されるとあって、街のあちこちの警備は厳しく、また賑々しく万国旗がはためく観光地には、失礼ながらでっぷりとした肉体もあらわに散策するロシアっ子をよく見かけます。

老若男女、帽子も被らず日光浴を楽しむ姿は、何所へ行くのにも帽子を被り、パラソルが手放せない日本人観光客と違い、短い夏を存分に謳歌しているのでしょうか。

       サミットの警備も厳し暑さかな

       ロシアっ子短き夏の陽を浴びる

       肌脱ぎをはばからざりしロシアっ娘

       夏帽の群れは観光日本人

       チップにぎり炎暑にトイレの列つづく

 ロシアの旅の難所はトイレです。  (大きな声では云えませんが、、、)     10ルーブル (40円) のチップを握りしめ数少なく、設備も、決して清潔とは言えないトイレには 日本人観光客の唯一の悩みでした。

帰国してより、日本のトイレはどこへ行っても設備の良さ、清潔さにこんなところにも今更ながら嬉しくなるのです。

○ フォークロアショー

Syo  エルミタージュ美術館見学後の夕食は、ロシア民謡やコザックダンスを楽しみながら本場の熱いボルシチと冷たいビールが旅の疲れを癒してくれたのでした。 

はじめて目にするバラライカ、若い男女のコザックダンスもさすがに本場ロシアならではの素晴らしいものでした。

       軽くのど潤すビールやバラライカ

 ネヴァ河のほとり 「モスクワホテル」 の窓からは あの有名な「跳ね橋」が見える。  深夜2時ころ 白夜の明け暮れの一瞬の静けさ! ホテルの窓越しに車の往来が途絶える事も無い。 白夜の人々は何時眠りにつくのでしょうか?

 「眠らねば、、、!!」  しかし窓の外は何時までも明るい。 うとうとしている間に窓から朝の太陽が射し込む。

       跳ね橋のひときわ眩し白夜かな

       白夜暮れ一瞬白きしじまかな

       丑三つや白夜の終焉固唾呑み

       丑三つも車行き交う白夜かな

       旅に疲れ眠れ眠れと白夜光

       金色のあした夕べの白夜かな

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ロシア世界遺産の旅 ~12~

○ エルミタージュ美術館

Erumizenboujpg  ロシアが誇る世界屈指のギャラリー エルミタージュ美術館は、ロマノフ王朝の財宝と、ソ連誕生後に国有化されたコレクションで溢れています。  300万点を超える収蔵品は、地域 年代別に展示されていて、 1階にはエジプトのミイラや、ギリシャ ローマの彫刻。 2階には豪華な宮殿ホールを飾る調度品や、15~18世紀の西ヨーロッパの傑作を、 3階には19~20世紀の巨匠たちの作品が展示されております。   1階、3階にある日本や中国など、東洋の文化に関する豊富なコレクションも見逃せません。

 眩いばかりの宮殿ホールが連なり、当時のヨーロッパ最高の技術者たちによって造られた煌びやかなロシア皇帝のお住まいだったと聞いて溜息しきりでした。  往時を偲ばせる豊かな造形美と芸術の数々を見学の人波に流されながら、冷房設備のない館内を溜息と汗を流しながらの見学は思い出深いものがありました。

 ダヴィンチの 「聖母子」  レンブラントの 「放蕩息子の帰還」  ゴッホ マチスの名作も然ることながら、何よりロダンの彫刻 「永遠の春」 の前に佇んだ時には、疲れも忘れるほどの官能美に打たれました。

Erumitajyu  新エルミタージュのロアトランタ像の向き合って建物を支えている筋骨隆々の若者のユニークな玄関廊(1848年)は、撮影禁止のエルミタージュのこれだけは何とか収めることができました。

 エルミタージュを網羅するには、3~4時間の見学ではとうてい無理な話で、 1ヶ月の時間が欲しいのではありませんか。

※ 私たちがエルミタージュ美術館を訪れたのは7月でした。 それから間もなく日本の型絵染人間国宝 「芹沢銈介美術展」が こゝエルミタージュで開催されることを知った時には 誇らしげに思ったのでした。

       モネ ゴーギャン溽暑にめぐる美術館

       ロマノフの栄華至宝や夏の外

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ロシア世界遺産の旅 ~11~

 サンクトペテルブルグ市内観光

○ ピョートル大帝の青銅の騎士像

Pyotorutaiteizou  1682年ロシア皇帝として即位し君臨したピョートル大帝の青銅の騎士像は、ネヴァ河畔にあるデカプリスト広場の中心にエカテリーナ2世の命により、1782年に設置されました。

 抜けるような大空に翔ける馬上の騎士像に、ロシアの今昔を見守る凛々しい姿は壮観そのものです。

 花嫁と花婿がこの青銅の周りを手をつないで歩きながら永遠の愛を誓うと 幸せになれると云われます。

       ピョートルの騎士像翔けり日の盛り

 ○ 聖イサク寺院     ○ 血の上の教会

Rosiaseikyoudaiseidou  歴史に翻弄されたロシア人の信仰を伝えるロシア正教の荘厳な寺院です。

天を貫くように聳え立つ大聖堂。  その姿は実に美しくこの世のものとは思えぬ威厳を誇る佇まいに息をも呑む思いでした。

かつてロシアの政治的中心地のひとつ、キエフ公国の10世紀ウラジミール大公時代にビザンチンからキリスト教を受け入れました。 

ロシア正教の起源で、それまで明確な信仰をもたなかったロシア人の こころの拠り所となりました。

 ロシア正教の信者は、イコンと呼ばれる聖像画 (山下りんで ご紹介しました) に向かい祈りを捧げます。

 十字は右肩から左肩へ、上から下へきって祈りを捧げます。 イコンは聖母マリアなどキリスト教の聖者を描き、描かれた聖者によって、健康、学業向上などのご利益があるようです。 教会には椅子は無く、礼拝時はじっと立ったまゝのようです。

Marutenjyoujpg  1881年 皇帝アレクサンドル2世が暗殺された現場に建てられた スパース・ナ・クラヴィー大聖堂 (血の上の教会)

~9~ で山下りんが、ペテルブルグの宿に着いた時に聞いた銃声によって皇帝が暗殺された あの事件です。(明治14年)

カラフルな玉ねぎ型の丸い屋根は、火炎を表す古代ロシア風の教会で、上下東西南北すべてが聖書を題材にした鮮やかなモザイク芸術で装飾されております。

 多くの教会の内部で、見上げれば天井に向かい半円球にくりぬかれ、聖書や天を象徴する美しい絵が描かれ、中心には 「鳩」 の絵がはっきりと目にする事もできました。 

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ロシア世界遺産の旅 ~10~

 ロシアでのイコン画を学ぶ筈が、断腸の思いで帰国を余儀なくされた山下りんは、ペテルブルグより国際列車に乗り、ドイツのベルリンへ、ケルンを経てフランスのパリへ、 マルセイユから就航して地中海をイタリアのナポリに寄港しつゝ 往路を逆に日本にたどり着きました。

 帰国途中の汽車では、ベルリンと思い込み手前で降りてしまったり、フランスでは、凱旋門を見に行き帰り道で迷子になったりはしたものゝ、目にする景色すべてに興味津々、自らが画中に迷い込んでいるような錯覚に捉われていたようでした。 

 明治15年頃に遠い異国での若き女一人旅の行動力の何と凄いこと!!

Yamasita_rin2  帰国後のりんは、神田駿河台にアトリエを与えられ、全国各地に竣工された教会の為に、イコンの制作にいそしむこととなりました。

その後は解っているだけでも 300点 は下らないイコン画に現在も信徒たちに愛され活き続けております。

Rin3_sanmiittai

  1889年、岡崎教会へのイコン制作をかわきりに、その後1913年までの25年間 各地の教会のためにイコンを制作し続けました。

Seisyosasie   イコンはすべて模写ですが、元の絵を模写しながらも、細部に自己表現を試み、どこか日本的なイコンを描いております。

Yamasita_rin1  1918年 (大正7年) 61才の時、故郷の笠間に帰り、絵筆も持たず、過去の事も 愚痴も云わず、野菜を作り 野花を摘み、尋ねる人も無い生活のようでしたが、少しも退屈する様子も無く楽しそうに暮らしていたと云います。

 毎日晩酌を楽しみながら、81歳の天寿を全うし      1939年 (昭和14年)1月26日逝去されました。

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ロシア世界遺産の旅 ~9~

 工業美術学校の友人 山室政子に誘われて正教会を訪れ ニコライ大主教の人柄に傾倒し、入信したのです。 ニコライ主教の手立てで、 山室政子の結婚の為に代わって りんはロシアへ留学する事となったのでした。

 山下りん23才の冬、明治13年12月11日横浜に趣き一泊、翌日船に乗り込み、香港 サイゴン シンガポール各地を寄港しながら、紅海を北上しスエズ運河を抜け、ポートサイドへ。 アレキサンドリアで船を乗り換え、トルコのイズミールに寄り、イスタンブールでボスフォラス海峡の雪景色を眺め黒海に入り、ついに目的の港オデッサに翌年1月30日にたどり着いたと云う事です。

ペテルブルグへは3月10日に到着して、 (前庭にチャイコフスキーの白鳥の湖の発想の舞台となった大きな池のある) ノヴォデーヴィッチ女子修道院に入りました。

 これまでの船旅は容易な事ではなかったようで、彼女の為の客室は用意されては無く、食事も上等客の残り物を与えられ、2~3日は食事にも有り付けない事も何度かあったようです。

 ペテルブルグの宿に着いた時大きな銃声を聞き、いま通ってきた道で、ロシア皇帝アレクサンドル2世が暗殺された事を聞かされた とあります。

現在 「血の上の教会」 として建っている場所ですが、 「血の上の教会」の事は、今回の旅で足を止め、その威容誇る姿をこの目に映してきましたので、後に画像でお示しの予定です。

Mosya1  ノヴォデーヴィッチ女子修道院で、イコン画を学ぶ事になり、やがてエルミタージュで絵の模写を始めたりんは、以前より西欧の宗教画を描いていた事で、支障は無かったようですが、その頃のロシアで高まってきた 国民主義とギリシャから伝わった奥行き感の無い平面的な伝統的なイコンを尊重するようになっていた為に、りんの行動は修道院の人たちからは受け入れられては貰えず、エルミタージュ行きも禁止されていまうのでした。

Maria  イコン画を学ぶためにロシア留学の筈が、宗教の認識不足から周囲との亀裂が生じ、精神的苦痛をなめ、異国で孤立して強いはずのりんはさすがに、進退きわまり、1883年(明治16年) 5年の留学予定を2年で帰国せざるを得なくなったようです。

                                          ~つづく~

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ロシア世界遺産の旅 ~8~

 ○ 日本最初のイコン画家  山下りん

Yamasita_rin_26sai  江戸時代に日本にも伝わったロシア正教は、明治時代になると信者の数も増えました。 各地に建てられた教会の為に、300点以上もイコンを描いた女性が居たと云う事は、恥ずかしながら、このブログを書いている間に、NHK教育TV 「高校講座」 の番組で知ることとなりました。

 日本最初のイコン画家 「山下りん」 です。

(上の画像は26歳のころの りん)

 1857年 (安政4年) 山下りんは、今の茨城県北西部にある笠間市に、笠間藩主牧野家に仕える下級士族の娘として生を受けました。

16歳のりんは、絵の勉強のために家出を決行し、東京までの約100キロの道を鉄道も無い時代、徒歩で3日もかかったと云われましたが、郷里に連れ戻されてしまうのでした。 興味のあることは熱中すると他の事は忘れてしまう程の没頭ぶりで、翌年家人を説得して再度上京し、絵の修行に取り組んだのでした。

Haibisukas  1873年 (明治6年) 上京してからは、画家への道を模索し、良き師を求め、浮世絵 日本画へとさ迷い、良き師ではない 望も無いと判断すればさっさと次の師へと即実行し、常に絵に対する取り組は真剣そのものであったようです。

 1875年 西洋画の中丸精十郎に師事したりんに新しい世界が開けます。

 明治9年に新設された工業美術学校が、女子に対しても入学させる事を聞いて、 「学費も無いが、試験の様子が見たい」 と願書を提出し、合格してしまうのでした。 旧藩主に学費の援助を受け、生活費は当時上京して巡査をしていた兄に見てもらい、日本最初の女子美術生(6名)の一人となりました。

 美術学校時代、イタリア人に師事し、自分の求めていた遠近法や、論理影法などを描く喜びに充ち溢れ、乾いた土が水を吸うように学んでいきました。

                       ~つづく~

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ロシア世界遺産の旅 ~7~

○ ロシア最古の歴史都市世界遺産ノヴゴロド

サンクトペテルブルグの南々東180kmにあるノヴゴロドは、悠々と流れるヴォルホフ河の岸辺に中世に全盛期を迎え、今なお古き良き時代の面影を偲ぶことが出来る街です。

Ikon 特に中世ロシアの 「イコン」(ギリシャ教会で祀るキリスト・聖母・聖徒・殉教者などの画像の事で、ビザンチン美術の一表現で、6世紀に始まり、11~17世紀に特にロシアで盛ん行われておりました) の制作の中心地となりました。

 ○ クレムリン内の ソフィア聖堂

クレムリン内の主な見どころとして、ノヴゴロドのシンボルの 「ソフィア聖堂」は、ロシア最古の石造建築です。

Ikonnhk_2  祭壇正面の聖母出現のイコンも名高く、14世紀のフレスコ画も今なお鮮明です。 (残念ながら写真撮影は禁止でした)

 時あたかもミサが執り行われ、信者の美しい聖歌が流れる中、私たち旅行者も思わず胸前に十字を切り、心洗われた思いでした。

       クレムリンとは城塞と知る夏の雲

       イコン涼しロシア最古の礼拝堂

 その昔、ヴォルホフ河を南下してきた船は、修道院に聳える鐘楼の金色の屋根を目印にしたと云われる 「聖ユーリエフ修道院」 は、端正な佇まいを今に残しております。

       鐘楼の航路導く塔炎ゆる

       鐘楼の白壁まぶし夏木立

 ロシアは至るところ緑が多い。 7月の訪れもあって、寺院の白壁が緑と抜けるような青空に、真夏の日差しが眩しく際立っておりました。

 ※ 次回は、私たち日本人には、馴染みのない 「イコン」 を描いた 日本最初のイコン画家の事を 簡単ながら取り上げてみたいと思います。

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