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2007年10月

究極の和生菓子職人の言葉

Yokan2_3  「和生菓子の究極は羊羹にあるとの事ですが、現在羊羹の名工が少なくなり、また大量生産の勃興などで昔ながらの影が薄れました。  最高の料理、菓子その他のものでも奥には驚くほどの苦心が原料、技術、道具などに払われております。

 時代錯誤的に非能率な小鍋を使用しておりますことからお察しいただけると思います。」

 和生菓子を作る上の究極の奥儀を、淡々とした口調で語る白髪の和生菓子職人の事をいま 殊更にしみじみと思い出しております。

 二十二年前(1985年)5月のこと、東京武蔵野市吉祥寺に当時僅か一坪程の売り場面積に 究極の羊羹を求める人が早朝から列を作るという、その名工に直々お目にかかり、幾多の失敗と、想像を絶する苦労を重ねて、行列のできる羊羹屋さんになるまでを 私に語って下さった一つひとつの言葉をいま改めて思い起こしております。

Ozasa  非能率的の小鍋に 高価な木炭を使い、一釜三升の小豆で五十本、一日三釜で〆て百五十本。 お一人様五本まで、つまり一日の販売百五十本の羊羹を求める三十人が 我先にと早朝から列をなすのです。

 「『名物にうまいもの無し』  のうたい文句にあるように、初代は並々ならぬ苦労を重ね土地の名物に仕立て上げながらも、二代目、三代目には初代の苦労にアグラをかき、大量生産に躍り、おごり、誇る!!  人間をダメにするのは、おごりの心と、金への執着です。 わたしは人生において何が最も自分に満足出来るか?の信念で羊羹を作っております。」

 初代亡きあと十余年経つ現在もこの味を、この商法を今に伝えているあのお店が今もそこにあるのです。

   アゝ~!  この尊い話を、霊験あらたかな伊勢神宮詣での土産物屋に聞かせたい!!

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28年目のカレンダー~続~

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 当時私は、幼い二人の娘の養育と生計のために、国際的評価の高い芹沢銈介の型絵染の美の世界を鑑賞する余裕すら無く、失礼ながら 「私の祖母がご幼少の芹沢銈介さんをおんぶした!!」 という驚きで聞いておりました

8  40年前のある日、民芸店で和紙に型染めされた芹沢銈介のカレンダーを目にし、明るい色調、おおらかで明解な作風に魅せられたのでした。

当時の私としては、高価な買い物で、財布の底をはたいての購入となり、胸が高鳴る思いで帰宅したのを今でもはっきりと思い出すことができます。

9  以来何の装飾も無い欅の額縁に納まって、月毎の芹沢芸術を楽しんでおります。

10  昭和59年(1984年) 芹沢銈介が88歳で世を去った時、祖母からもっともっと銈介さんのことを聞いておけばよかったと後悔いたしました。

 古いビューローの大引き出しには、1967年~1990年の間に求め続けた20年余りの、和紙の 「芹沢銈介型絵染カレンダー」がそれぞれ厚手の砧紙に包まれ今でも大切に納まっております。

11  今から十年ほど前の土用のころ、これらの古いカレンダーにも風を入れたいと、広げ始めた時の事でした。

何気なく懐かしさと美しい型絵染めに改めて見入っていた時、何と! カレンダーは、28年ごとに蘇る事に気がついたのです!。

 ここにも又もや私の気になる 「28」 に寄せる想いは尽きる事無く、永遠のものとなりました。

12  以来毎年28年目のカレンダーが、我が家の宝物となって壁に飾られております。

 ちなみに 2008年閏年は、1980年閏年、(昭和55年)のカレンダーが、再び脚光をあびる事となるのです。

 、、、、、とすると、 来年は昭和も83年なんですね。

       二十八年目の曝書に暦の蘇へり

       あな不思議!古りし暦の新たなり

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28年目のカレンダー

 ブログにデビューして間もない今年6月4日 「28が気になる私」のタイトルで掲載しました 「28」 という完全数にもうひとつ加えたい事があります。

 今年も神無月を迎え、例年通り年賀はがきの予約のお知らせが聞かれるようになり、巷の書店・文具店にも多様なカレンダーが店頭に並ぶようになりました。

1980karenda  私もそろそろ準備をしなければと、古いビューローの大きな引出しに大切に保管してある 「重要無形文化財保持者」 人間国宝の 芹沢銈介の1980年(昭和55年)の和紙の型絵染カレンダーを取り出したところです。

 なんと! 28年目の再会です。

2  1895年(明治28年 こゝでも28に出会いましたね) 静岡市本通に生まれた、後に人間国宝にまでなられた芹沢銈介の事を知ったのは、1956年(昭和31年)に重要無形文化財保持者に認定された年でした。

3  今から45年前、私は父方の祖母(1886~1964)から意外な話を耳にしたのです。

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静岡市新通りに生ま れた祖母は、「十歳のころ、当時近くの本通で呉服屋さんを営んでいた 大石角次郎さんの次男であった銈介さんを脊負って子守のお手伝いをした」 とさりげなく私に話した事を思い出したのです。

5  祖母から聞いた私の驚きは大変なものでした。

ご幼少の頃の人間国宝をおんぶした祖母!

 半世紀経った今でも脳裏に焼き付いております。

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  何せ十歳当時の祖母の記憶は、八十歳近くになれば相当に薄くなり、詳しいことは余り話すことはなかったのです。

今にして思えば残念なことでした。

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陶芸俳句 ~透かし彫り編~

つぼすみれ透かし彫りランプシェード

Dobaiue1  陶透かし彫る一心に夜の秋

 野分立つ陶土のもろさうべなふも

 透かし彫りの刃先に光る土の冴え

       作陶の透かしに彫りて月おぼろ

       釉薬をスプレーに掛け霧の中

       窯詰めや腰をたわめてそぞろ寒

       おもむろに窯の蓋閉じ月仰ぐ

       窯詰めを了へてちゝろに我戻す

       窯の蓋閉じて良夜に脊を伸ばす

       虫すだく陶窯の火を止めてより

     

       窯出しの逸る鼓動や秋茜

       窯出しの緋色目に染む秋夕焼け

       窯出しの「ピン!」と産声爽やかに

       たまさかの窯変の妙虹立ちぬ

       窯変の一喜一憂や虎が雨

       秋の灯やランプシェードの影の揺れ

       母看取るランプシェードの秋思かな

       秋深しランプの星座を身ほとりに

Sukasitati

  Sukasipatu

  Syuukaidou  

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陶芸俳句 ~雑器編~

土練り三年

       陶工の土粘り三年寒の水

       陶土粘るかそけき腕山笑ふ

       菊粘りの腰定まらぬ薄暑かな

ロクロ挽き

       余寒なほ革命めきてロクロ挽く

       ロクロ挽く眼一点寒の入り

       陶土冴えロクロ挽く手に湯気一縷

       薫風を誘いロクロをひた廻す

       ロクロ挽く手ぶればかりや梅雨に入る

       土と語り春を謳ひてロクロ前

       一塊の土の息吹や春光に

釉掛け

       釉掛けて仰ぐ虚空や梅雨の明け

       釉薬や異彩あまねし夕焼け空

陶雑器

       手び粘りの葉皿に山の錦かな

       一服のひね茶をすする志野茶碗

       清明や彩よく焼けし陶雑器

       作陶の敗者復活下萌ゆる

       沖なますの自慢は天目向付け

       白玉やこの世にひとついびつ碗

       徳利の小鉢めでたき切り山椒

老母は俄か陶芸家

       作陶の老母は一途よ蝉しぐれ

       母の手の陶土自在に春動く

       作陶の無心の母よ春日和

       春萌す(きざす)老母は俄か陶芸家

       興尽きぬ作陶母の手の温し

       母と居て陶土と遊ぶ青葉光

       母の手の陶土化身の薄暑かな

       作陶や日永楽しむ老母娘

       窯出しや母は活き活き春光に

       母は自作を友に配りて日のうらヽ

       豆飯や母手び粘りのいびつ皿

My_syokisakuhin12

      

Kuroten_tetuaka12 Tennendobai22

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作品集ー13

 素人の本焼き

 その日はまさに月白く、風清い仲秋の夕暮れ時でした。

私は窯の火を入れる時刻を、窯出しの頃合いを逆算して、夕方の6時と決めておりました。

   外気温 26度    窯庫内温度 23度

   18時0分 本焼きのためのスイッチオン

   90分後には窯庫内は270度に上昇

後はマイクロコンピューターにおまかせです。

丑三つ時までには1230度にまで達し、210分の焼成を続け、20分のねらしの後、徐々に温度を下げていくのです。

 翌朝スイッチオンから12時間後の6時には、760度に下がっており、21時間後の午後3時には、225度位まで下がります。

24時間後の夕方6時には窯庫内は120度となり、やっと 「end」 の表示が提示され、ほっとする瞬間です。

 感動の窯出し!!

        窯出しの逸る鼓動や秋茜

        窯出しの 「ピン!」 と産声爽やかに

        窯出しの緋色目に染む秋夕焼け

        窯変の一喜一憂や野分あと

        たまさかの窯変の妙秋の虹

  

Blogranpu  窯の蓋を開け、外気に触れた瞬間、焼成された陶器たちは、かすかに 「ピン! ピン!」 と産声を上げて私を喜ばせてくれるのです。 

            感動いたします!!

いとほしむ様に、分厚い手袋で生まれたばかりの我が子を慈しむように窯出しに取り掛かります。

Seiza_2  秋の燈やランプシェードの影の揺れ

 母看取るランプシェードの秋思かな

 秋深しランプの星座を身ほとりに

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作品集-12

  緊張の窯入れ

 釉薬を施し、いよいよ本焼きのための窯入れです。

互いに接触させないように細心の注意を払って、効率よく窯に収めるのです。 

 無造作に詰め込みしてしまうと、釉薬同士が融け合って、焼き上がった時にはしっかりと接着し合っているのです。

Yuugake  支柱を立て、棚を据えて、2段3段と 私のちいさな「マイコン電気窯」 (外形 710×750×650 コイル式 八角形) は、井戸茶碗と ぐい呑み の場合でしたら40個ほどで一窯分となりますが、ランプシェードの場合では、セットにして、せいぜい5~6個分と、その合間合間に小さな雑器を、これらも互いに触れないようにびっしりと詰めて、おもむろに、窯の蓋を閉じて、夕方6時のスイッチオンを待つのです。

          

Kodoyuugake    窯詰めや腰を撓めてそぞろ寒む

   おもむろに窯の蓋閉じ月仰ぐ

   窯詰めを了へてちゝろに我戻す

            窯の蓋閉じて良夜に脊をのばし

 ※ 釉薬のこと

 釉薬の生い立ちは、燃料の薪の灰が陶器に付着して、高温により 土との化学反応から融けてガラス状に変化して焼成されるとのことです。

 ですから、落ち葉や、枯れ木を燃やした灰で釉薬を作ることも可能です。

実際に陶友の一人が、ご自宅の庭で古木を灰にしたもので焼いてみたそうですが、電気やガス窯では所詮無理のようでしたが、部分的に焼き締めのような味も出たそうで、それはそれで納得されたようでした。

全くの初心者の私は市販の釉薬を使用したのは当然のことです。

 陶芸初心者は、多くの色を使いたがり、私も10種類ほどを焼成しましたが、結局はランプシェードは、白のスイヒ土に天然土灰釉を、茶碗類は、信楽並漉土75%と信楽赤土25%割合の粘土に、そば釉、織部釉などに落ち着きました。 

 そば釉で焼き上がった時の、あの地味な「そばがら色」の濃い地色に金粉を微細に鏤めた様は中々のものでした。

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作品集ー11

 ランプシェードのパーツ

Koodoana  ランプシェードの胴体を切り離した底の部分です。

1kgの粘土で壺型に挽き、多少の水分が抜けた状態で底2cmをカットし、底内面に花を活ける「落とし」や、明かりのソケットを設置するために 平らに均してコードの通し穴を開けます。

Saraurakezuri  ランプシェードの蓋となる 「上皿」を挽き、裏面をなめらかに整理します。

Sokokezuri  このランプシェードは欲張って 多目的に花入れにも使用したいので、10cmほどの高さに筒状に挽き上げて、底裏側は渦巻き状の模様にして、配置よくしました。

 各パーツが揃い 十分に乾燥させて素焼のあと、釉薬を施すのですが、茶碗の釉掛けのようにどっぷりと漬け掛けするようなわけにはいきません。

 透かし彫りの場合は霧状に吹き付ける電動コンプレッサーを使用するのですが、専用の電動コンプレッサーは、余りにも高価のため、私はビニールのプールで使う安価な足踏み式の空気入れに、口吹き用の「霧吹き器」を取り付けてみました。 流れの良い水と違って釉薬は濃度がありますから、斑なく吹き付ける為に、片足は絶えず蛇腹のポンプを踏み続けなければなりません。 (いま、そんな姿を想像して、我ながら苦笑しております。)

 一窯分を吹き掛け終る頃には、もうくたくたに疲れ、内臓脂肪も多少は減少したことは、何とも喜ばしい事でした。

       釉掛けに疲れなだるゝ土用入り

       釉薬をスプレーに掛け霧の中

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作品集ー10

 馬鹿のひとつ覚えと云いましょうか、老々介護の窮地から逃れるようにロクロに向かう事に楽しみを見出して、我流の茶香炉を作陶する事に夢中になっていた私は、ある日、茶香炉から洩れる平型ローソクの火影が 壁に揺らぐ風情に魅せられて、はっと思い付くものがありました。

  次の夢は 「ランプシェードだ!!」

 陶芸教室を中途半端な状態で落ちこぼれ、陶友との交流もないまゝ、細々と我流に甘んじる日々を送っていた頃のことでした。

 Sokonuki いよいよランプシェードに挑戦!

 ロクロに 「かめ板」 (大物を挽き上げたばかりには、軟らかくロクロから移動出来ないため、あらかじめロクロに据え付けた「かめ板」の上で挽き、板のまゝある程度の乾燥を待つ) を据えて1kgの信楽スイヒ白の粘土で胴回り50cmほどの壺に挽きあげ生乾きの状態で底の部分をカットします。

 カットした本体にまだ生乾きの間に いよいよ透かし模様を刻みます

透かしのデザインは 「つぼすみれ」 のアレンジです。

透かしカットは本来は陶芸用の特殊な電気ドリルを使用するのですが、私の場合は、簡単な粘土細工用のカッターです。

Sitaeutusi  底を抜いた胴本体にカッターの刃が通る位の まだ生乾きの間に透かし模様を写し取ります。

※  ちょうどその頃偶然にもフレスコ画家 絹谷幸二の下絵を写し取る目打ちのテクニックをテレビで見て、図らずも似たような作業をしていた事に驚きでもあり、喜びでもありました。               (平成14年7月18日NHK TV 「絹谷幸二 ベネチア30年前の思い出」)

 透かし彫りは、なにせ脆く壊れそうな 生乾きの状態を維持しながら、しかもカッターナイフの手作業です。 試行錯誤、何度かの失敗を繰り返しながらも、じっくり構え取り組む間 緊張感と土との対話の中で、至福の刻を刻んでいたのかも知れません。 

Sukasinama    作陶の透かしに彫りて月おぼろ

   土と語り春を謳ひてロクロ前

   一塊の土の息吹や春光に

 

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