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2007年6月

トルコの旅日記 ~その11 完~

 グランドバザール

Bazaru  イスタンブール観光の最後のお楽しみは、観光客にとっては何といっても、グランドバザールです。

トルコ語でカパル・チャルシュ(屋根付き市場)と呼ばれる観光客に人気のスポットのこのバザールは、ビザンチン時代にバザールの基礎がすでに出来て、1461年に完成されたと聞きました。 今では網の目のように入り組んだ5000軒もの店に、あらゆる品物が並び、日本語も巧みに呼び込み合戦や、値段の交渉も身振り手振りも面白おかしく、あれよあれよと言う間にお土産もほぼ揃いました。                               

Tyai_1  これぞと思ふお客には、トレイにのせたチュウリップ型のチャイバルダーという小さなグラスになみなみとチャイを運ぶ男性店員の姿がよく見られます。

  客寄せのおにいちゃん店員たちまで、私たち可愛い淑女に対して 「ニホンノ チイサイ オバーチャン ベンキョウシトクカラ イカガ?」 と呼び掛けて来るのには、お腹を抱えて大笑いしました

   呼び込のチャイもてなして春の店

Kutumigaki  

 ホテルのロビーや街角の隅っこに何やら派手な台が置かれ、お客を待っているのが 「靴磨き屋」なので

金きらきんに飾り立ててあるのには、苦笑してしまいました。

   春光に靴磨き屋の飾り台

 さようなら トルコ

 Bluemosque

    トルコの旅の最後の夕食は、オリエント急行の終着駅の雰囲気あるレストランで、楽しかった8日間の旅を思いおもいに語り合いながら、乾杯で締めくくりました。  この地を去りがたく、夕闇せまる街道を、バスはイスタンブール・アタチュルク空港へと向かいました。 途中 夜空に浮かび上がるようにライトアップされた、ブルーモスクの6本のミナレット(尖塔)に囲まれた、壮大なドームが目の前に迫り、モスクの空を十数羽のカモメが、あたかも私たちを見送るかのように、大きく大きく旋回し、それはそれは幻想的な光景でした。

最後のカーテンコールに至るまでの演出効果にジーンと来るものを感じました。

  ライトアップのモスクの空を春かもめ

 壮大な自然遺産、古代帝国の夢の跡。                        驚きと感動あふれる素晴らしい旅をありがとう!

                                                 さようなら トルコ!!

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トルコの旅日記 ~その10~

 世界三大料理

 トルコ料理が世界三大料理のひとつと知ったのは、失礼ながら今回の旅のバス移動の中のツアーディレクターさんのクイズからでした。

 黒海・マルマラ海・エーゲ海・地中海に囲まれ、沃野に恵まれた美味の宝庫もなるほどと頷けます。

 バターと魚介類が特徴の黒海地方、オリーヴとトマトの地中海地方、羊と乳製品の内陸部。  トルコ料理は、オスマントルコ帝国時代に取り入れた多彩な料理法が今に伝わっているのだそうです。

            

  私など、トルコ料理といえば、 「シシカバブー」 くらいは知ってはいましたが、それとて一度も口にした事も無く、今回街角で見つけた 「回転(ドネル)ケバブ」 のいい匂いもあって、目が点となったのでした。

トルコでは 「シシケバブ」 と云うらしく、 「シシ」は「串」を意味するトルコ語、 「ケバブ」は「焼き肉」の意味のアラビア語だそうで、つまり 「肉の串焼き」のことで肉はほとんどが羊肉のようです。

   春風や街角匂うシシケバブ

   回転ケバブさばく刃先の春光り

Donerukebabu_4  代表的なトルコ料理は、どうもシシケバブでは無いらしい。 トルコの基本料理は、トマト味をベースとした煮込み料理がメインであり、おふくろの味なのです。

 ジャガイモ・にんじん・なす・インゲン豆・レンズ豆・羊肉などをトマトをベースにとろとろに煮込んだ料理は私たち日本人には、ちょっと煮過ぎかしら? の舌ざわりでしたが、充分に美味しくいただけました。

 トルコ人は料理はよく煮込むのがお好きのようです。

 トマトは、肉とも他の野菜とも相性がよいのです。 こってりとした肉の味はあっさりとしたトマトの酸味で和らげ、淡白な野菜にはほのかな甘味を加えます。煮込み料理の中でトマトはあくまでも脇役に徹しながらも、ベースの味を支え、トルコ料理には無くてはならない存在のようです。

 トルコの食べ物で欠かせないものにヨーグルトがあります。 トルコのヨーグルトは カイマックと呼ばれる脂肪が表面を覆っていて、乳脂肪たっぷりでコクがあり、日本のヨーグルトの水っぽさに慣れている私には重たく思われましたが、蜂蜜やジャムを混ぜておいしくいただきました。  トルコのガイドさんの話によれば、トルコではヨーグルトにおろしたニンニクを混ぜたソースは絶妙だとのことです。、、、信じられなーーーい!!

もうひとつ面白い食べ方に 私には塩辛いトルコのチーズは、スイカと一緒に食べるのがトルコ風だそうです。

 

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トルコの旅日記 ~その9~

 再びイスタンブール

 イスタンブールを中心とするマルマラ海地方、古代遺跡が点在するエーゲ海地方、首都のアンカラやカッパドキア等がある中央アナトリア地方を巡った私たちは、再びイスタンブールに戻り、トルコ最後の世界遺産を見学しました。

 トルコの旅7日目の夜は、イスタンブールならではの絢爛豪華な五つ星ホテルの歴史ある建築物で、格調高い重厚な家具調度に遠い昔のイスタンブールに思いを巡らせたのでした。

   絢爛や春眠今宵の五つ星

 ボスボラス海峡クルーズ

 イスタンブールは二つの大陸にまたがる世界唯一の都市です。 東洋であって東洋で無く、西洋であって西洋で無いという不思議な魅力に満ち溢れている都市なのです。

 トルコ最後の8日目の午前中は、イスタンブールをヨーロッパサイトとアジアサイトに分けているボスボラス海峡の二時間ほどのクルーズを楽しみました。

海峡に架かるボスボラス大橋、新市街の高台に聳えるガラタ塔、旧市街の岬に聳えるトプカプ宮殿のハーレムの塔、その右手にはモスクの尖塔(ミナレット)とドームの素晴らしい景観。 赤いトルコ国旗をなびかせて行き交う大小様々な船。 たった一人の釣り舟にさえトルコの赤い国旗がはためいているのには、国旗掲揚を云々している何処かの国と違って、心底愛国心の表れと心温まる思いがしたのでした。

   一国の亜州・欧州津々うらヽ

   クルーズのチャイ売りの声のどらかに

   トルコ旗や津々浦々の春風に

 アヤ・ソフィア

Ayasofiamado_2  幾多の歴史を背負った壮大なスケールのモスク アヤ・ソフィアは、圧倒されるほどの広大な空間で、直径33m、高さ56mのドームの内部を飾るモザイクに感嘆の溜息しきりです。 入り口では厳重な荷物検査とX線検査での入堂です。

 

   黄金のモザイク極め春光る

   モザイクの聖母子幽かに春灯す

 Berugamatubojpg_2   大理石の壺に触れいて冴え返る

   

 スレイマニエ・モスク

 オスマン帝国最盛期を築いたスレイマン一世のモスクです。  トルコが生んだ天才建築家スィナンの最高技術を駆使した例を見ない建築だそうです。  旧市街の一番高い処に建ち、周りには庭が広がっております。 外壁側には水道の蛇口が並び、トルコ各地から祈りを捧げる信者は、ここで身を清めてからモスクに入り、敬虔な祈りを捧げるのです。  早春の肌寒さにも関わらず、信者たちは冷たい水で手足をていねいに清めておりました。

   手足清めモスクへ信徒の春寒し

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トルコの旅日記 ~その8~

 カッパドキア~アンカラ間295km バス 4.5時間

 巨大奇岩が織り成す大パノラマに圧倒された世界自然遺産を堪能した私たちは、4.5時間のバスに揺られて、ネオン煌めく大都会首都のアンカラに着きました。 シェルトン アンカラ ホテルはさすがアンティークな落ち着いた雰囲気で、旅の疲れも充分に癒されたのでした。

 夕闇も迫り少し冷え始める頃、突然コーランが街中を一転集中させるように朗々と響き亘り、一瞬緊張する異文化の真髄を究めます。

    朗々とコーラン渡る春薄暮

 トルコの旅7日目は、イスタンブールに次ぐ人口を占めるトルコ共和国の首都、アンカラ。  アナトリア高原の中心に位置するこの町は、歴史が古く、海への憧れを込めて 「アンキラ (錨)」 と名づけたそうです。

 アンカラ

Torukohata  首都アンカラでは何と言っても 「トルコの建国の父」 が眠る小高い丘にある 「アタチュルク廟」 の表敬参詣です。

軍人ムスタファ・ケマルは1923年10月、トルコ共和国の独立を宣言し、スルタン制の廃止など近代化の礎を築きました。   

 トルコ国民はケマル軍人を崇拝して止まず、アタチュルク(トルコの父)と呼んでいるのだそうです。                                              アタチュルク廟には、それぞれの軍服を纏った、陸・海・空・の衛兵のチェックも厳しく、荘厳な雰囲気での見学でした。

Atatyurukubyou  春光や微動だにせず護衛兵

 春兆す建国の父へ永久の愛

 アタチュルクの永久の敬愛青帝に

          霊廟の空春光の飛行雲

 アンカラ~イスタンブール間 450km 6時間 バス移動

 いよいよ出発地でもあった、最終地イスタンブールに向って6時間の長旅です。  途中の休憩地では、信じられないほどの 「塩湖」 の存在でした。

 渚までの白い塩混じりの砂をサクサクと踏んで、静まり返った重たい波打ち際、夕陽が塩湖を茜に染めて怪しいほどの眺めでした。            

 旅友とツアーディレクターさんの句

  春がすみ塩湖に動くものの無し   愛子

  鳥雲に塩湖に落つる夕陽かな    亮

  見晴かす塩湖を染めて春落暉    ぽち女

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トルコの旅日記 ~その7~

 カッパドキア (後編)

ギョレメ野外博物館

Furesukoga キリスト教徒が残した教会の数々が見られるギョレメ博物館。 カッパドキアでは4世紀頃から、多くのキリスト教徒が住むようになりましたが、9世紀頃から強まったイスラム教徒の迫害を逃れて、岩を掘って洞窟に教会や修道院を数多く造りました。 教会の内部には、信徒の描いたフレスコ画が残されていますが、イスラム教は偶像崇拝を禁じていたため、フレスコ画のほとんどの目はつぶされているのが痛々しく、胸がつまる思いでした。

     冴え返る隠れマリアの天井画

     イエス画の眼を奪われて背に余寒

カイマクル地下都市

 キリスト教徒が造り上げた巨大地下8階の隠れ家は、キリスト教徒がアラブ人の迫害から逃れるために造られました。 低い天井や、狭い通路は迷路のように入り組んで、内部にはキッチンや、食料貯蔵庫、ワイナリーまで設け、多い時には7000人~8000人が暮らしていたとは大変な驚きです。

 旅友の一句

   地下都市の迷路のさまに春寒し   昌代

Kaimakuru2 私たちは背を丸め、腰を低くして時には頭を岩にぶっつけながら、巨大地下都市を這い回ったのです。 過酷な状況下で、歴史的な遺産を造り上げたキリスト教徒の強い信念と、苦悩のみちのりに言い知れぬ感慨にふけりました。

    啓蟄や迷路地下都市這い回り

 洒落にもなりませんが、トルコ土産には欠かせない 「魔除けの目玉(ギョレメ)」 をカイマクル事にも専念したのでした。

絨毯工場見学

 カッパドキアでの最後は、トルコ特産の絨毯工場の見学です。

Orihimejpg トルコ独特の絨毯工場では、しなやかな指でキビキビとしたリズムで織り込む織姫の実演をじっくりと見学しました。

旅友の一句

   織る人の指いきいきと春ショール 

                              正女

 大きな、しかも重厚な絨毯織りは、右手に指貫ならぬ小さなカッターをにぎり、左手で、10cmほどの糸を縦糸に挟み込み、毛足を整え手早くカットして織り込む 「Wノット織り」 がここの特徴なのだそうです。 目前のデザインや絵画を眼で追いながら、糸を替え、色を替えて、ただ黙々とリズミカルに織り込んでいくのです。 気の遠くなるほどの完成までの忍耐と技量に感動します。

   凍てゆるむ織姫やわき指さばき

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トルコの旅日記 ~その6~

 カッパドキア (前編)

 いよいよ私たちは目指すトルコ世界遺産、奇岩群が織りなすカッパドキアへ!!

標高の高いカッパドキアは、3月早春の季節もあって木々の緑はほとんど見当たりません。

Midorikieru 空気も乾燥していて、様々な形をした白っぽい岩々が、波打つように広がる谷は、見る人にいろいろなイメージを膨らませます。 白っぽい岩は疑灰岩で、手で触ればポロポロと崩れ落ちてしまうほど柔らかく、風雨に浸食され易く、自然の摂理によって日々変化するのでしょうか。

Kyodaikinokoiwa  眼前にアッ!!と驚く光景は、絵はがきなどでよく目にする巨大なキノコ岩が点在する谷間。 まさかこんなに大きなものとは思ってもいませんでした。 超然と聳え、自然のままの荒々しい姿は見る人の心を捕らえて止みません。 岩が織りなすダイナミックな大パノラマに、まるで別世界に迷い込んだような、不思議な空間に我を忘れてしばし茫然と立ちすくんでしまうのです。

          啓蟄や眼前に巨大キノコ岩

Rakudajpg 観光客相手のラクダものんびりと、私たちを迎えてくれました。 遠くには、本物のラクダが寝そべっているような形の何ともユーモラスな岩も自然の遺物として、観光客を楽しませております。    

旅友の一句                                                            春空やラクダの背に二人乗り   愛子

Rakudaiwajpg_1   奇岩群らくだ笑へば山笑ふ

  遠霞み眠気を誘ふラクダ岩

       世界遺産の奇岩にらくだの眼のうらゝ

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トルコの旅日記 ~その5~

 石灰棚

 パムッカレのジェムフリエットの広場から、遊歩道入り口まで5分。石灰棚頂上まで徒歩で20分。 今まで見たこともない、真っ白な石灰棚が造りあげた不思議な空間に、思わず歓声を上げてしまう。  早春の陽を浴びて、青白いモザイクが、きらきらと輝く様は、美しい!! というより例え様もありません。  仮に、これが満月に眺められたとすると、、、想像するだけでも鳥肌がたつほど、幽玄の世界に埋没してしまいそうな錯覚さえ覚えます。

 私たちは思い思いに裸足になって、チョロチョロ流れる温泉水に、童心に還って戯れたのでした。  硬い石灰棚は、思っていたほど素足でも痛くなく、むしろ程よい刺激に癒されました。

Sekkaidana  石灰棚の手足いたわる磯遊び

 石灰棚の足裏くすぐる水温し

 石灰棚の田ごとの光春動く

          石灰棚の影のモザイク春光に

 パムッカレ~コンヤ間 450km 5時間 バス

 コンヤ

Kaitenbuyou  1037年~1261年 セルジュク・トルコ時代の首都として栄えたコンヤは、人口80万の都市で、旋回舞踊で有名な、メヴラーナ教の総本山の古都でもあります。        世界的に知られる 「メルヴァーナの舞」 は、印象的な白い衣装で、円を描きながら廻り踊る独特のスタイルは、旋回しながら、忘我の境地に達し、神と自分との合一を目指すものなのだそうです。   この画像は、鮮やかな青いタイルの尖塔が特徴の 「メヴラーナ博物館」 にある実物と見違えるほどの展示品です。  (旅友の正女さんの撮影です。)

   のどけしや旋舞の僧のトルコ帽   正女

 コンヤ~カッパドキア間 220km 3時間 バス

 旅の5日目は、大草原をひた走りつづけるバスの移動も、現地ガイドさんの巧みな日本語で、 セルジュク・トルコの首都として栄えた 「コンヤ」 の歴史や、中央アジアで、遊牧民生活のトルコ族がセルジュク朝を興し、ビザンチン帝国を破って、首都をコンヤに興した経緯も、少し疲れた私たちには、寝物語に聞こえたのでした。  ツアーコンダクターのK青年も、 世界3大料理であるトルコの食文化など、楽しいクイズやCDの音楽を聴かせて下さったり、学識豊かな話題などで、飽きさせる事もなく、 見渡す限り続く大草原のバスの旅でした。

   旅友の一句         

     果てしなく続く草原初の蝶   雅

 いつしか、カッパドキアの奇岩群を目の当たりにした時、 私たちは思わず大歓声をあげたのでした。 

   斑雪嶺(はだらね)の果てまで展く大草原

   残雪の茜に聳ゆトルコ富士

   大草原の果てまでれんげ田見当たらず

   下萌えの大地に群れて牛・ひつじ

   散在の一群れ毎の芽吹きかな

   みはるかすポプラ並木の霞みをり

   寄る辺なき大草原を春の風

   景一変みどりの消えし大自然

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十二支ものがたり

12_0

ワードのオートシェイプという機能を利用して、お絵描きができる事を知りました。 花を描くことからスタートして、今年は十二支の動物を一つずつ描きためてきました。そして、ついに十二支ものがたりが完成しました。 絵本が完成しましたので、おいおいご紹介させていただきます。

なお、作品は下記の書籍を参考にさせていただきました。

パソコン主婦の友編集部 佐藤和代 著

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トルコの旅日記 ~その4~

 革製品工房でのファッションショー

Show_1  エーゲ海沿岸の、都市国家の中でも重要な位置を占める街に発展したエフェソス都市遺跡を堪能した後、私たちは豊富なカラーバリエーションと100パターン以上のデザインのレザー製品がズラリと揃う、羊と仔羊の革製品の工房に立ち寄りました。 チャイをもてなされ、10分ほどのファッションショーに浮かれ、あれよあれよの間にステージに招ぜられ、お気に入りのコートを着て、リズムも軽やかに? ステップ? まで踏んで、近年これほど笑い転げた事もないほどに、旅の恥を掻き捨てたのでした。

   相輿(あいごし)のときめきてより春愁ふ

それにしても、レザーとは思えないほど軽く、柔らかな手触りに魅せられたのでした。

  エフェソス~パレッカム間 215km 3時間のバスの旅

 ヒエラポリス遺跡

 良質の温泉水に治療効果があると信じる人たちが集まり、都市が建設されたヒエラポリス遺跡。 ここでの印象は、朝一番の観光と早春の肌寒さもあって、ネクロポリス「死者の町」という異様な雰囲気に包まれ冴え返ったのでした。最大級規模の古代墓地跡では、土台の上に石棺を置き、古墳型、家型は大理石などで造られ、生前の地位や職業などによって見分けられるとのことです。        こんなところにまで野犬がうろうろ先導しておりました。

   花あんず石棺くづれ日に曝す   正女

   「死者の町」てふ石棺に佇ち冴え返る

 

 パレッカム

Kageurara_1 いよいよ大自然が造り上げた、どこまでも真っ白い世界!、自然が育んだ不思議な風景が見渡せるパムッカレに到着。 この白い世界は雪と見紛うばかりです。  これは、この地域の温泉水に多く含まれる炭酸カルシュウム分が、水中の酸素と結合して沈殿し、気の遠くなるような時を経て凝結し、石灰棚を造ったというのです。

   石灰棚を水面に映し影うらゝ

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トルコの旅日記 ~その3~

 トロイ~ベルガマ間 220km 約3時間のバスの旅  

 ベルガマ~イズミール間 98km 1.5時間バス移動 

 ベルガモン遺跡

Daigekijyoujpg 標高333mの丘の上に広がる古代ベルガモン王国の遺跡は、丘の斜面を巧みに利用した都市造りが素晴らしく、圧倒されます。 丘の急斜面を利用して造られた扇型の野外劇場は、観客席が80段あり、2つの踊り場で3部分に分けられ、1万人を収容できたそうです。  足がすくみそうな急斜面だけに、眺めは素晴らしく、ベルガマ市街が一望できました。

Rettyuu  劇場へと続くイオニア式の列柱が連なる 「北の回廊」 当時は屋根が付けられていたそうです。

 

           大斜面のかげろふ遺跡の大劇場

     春天に列柱遺跡の白の栄え

     まろびたる古代遺跡の下萌ゆる

 一路トルコ最大の遺跡が残るエフェソスへ

 イズミール~エフェソス間 72km 約1.5時間バス移動

 聖母マリアの家

Maria1 エフェソスでの一夜が明け旅の4日目、 トルコ史400年頃のビザンチン帝国時代の砦、セルジュークの街を経て、「聖母マリアの家」を訪れました。  キリストの弟子であるペテロやパウロなどの布教によって、キリスト教が広まりましたが、度々の迫害をうけ多くの殉教者を出しました。   迫害を逃れ隠れ住んだと云われる、オリーブの花咲く、なだらかな丘の上に石組みの小さな「聖母マリアの家」。 感慨もひとしお、 小休止をとりながら、私たちは友人宛ての旅便りの寄せ書きをしたためました。  旅友の句をご披露しましょう。

   異国より送る寄せ書き木の芽風   正女

   花オリーブ顔盗まれし女神像     愛子

   春の風「マリアの家」より旅便り    恵子

 エフェソス都市遺跡

 ベルガマと並び「エーゲ海の2つのバラ」 と称される世界最大の都市遺跡のエフェソス都市遺跡は、紀元前11世紀にギリシャからやって来たイオニア人が建設、肥沃な大地と交易によって発展しました。 

公共の浴場、音楽堂、数々の神殿、柱と壁は大理石で美しく飾られたエフェソスのシンボルと言われる優美な建築の図書館。 そんな文化的な公共施設の中に以外にも、世界最古の職業 「娼婦の館」の一部分が残され、娼婦の館までの道案内図が、足型によって鮮明に残されているのです。 彼女たちは戦争捕虜や他の都市国家から連れてこられた奴隷が多く、娼婦にまつわるエピソードは切ない想いがあります。

  旅友の一句

   丘陵に古代神殿春の風  昌代

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トルコの旅日記 ~その2~

Dadanerusukaikyou  イスタンブールからダーダネルス海峡をフェリーで渡りチャナッカレへ!!  310km 約5時間の旅

乗船を待つ間、沈みそうで中々沈まぬ夕陽が海を茜に染め、雄大で素晴らしい光景でした。

いよいよフェリーで海峡を渡る。 入日に変わり早くも春満月が、水平線から昇り始め、月影が波間に揺れ、リズミカルなエンジン音と潮風が心地よく旅愁をそそるのです。

   出港を待つ間見届け春落暉

   春の海染めてトルコの大入日

   のどかさや海峡渡る船の揺れ

   ゆらゆらと船が引く水脈春満月

   春満月の影に揺られて海渡る

 トロイ

  チャナッカレ~トロイ へ 30kmのバスの旅

Toroimokuba_2  トロイは、ドイツのシュリーマンが命をかけ発掘を繰り返し1870年、伝説上の都市が実在しました。 トロイの象徴である 「木馬」は、ホメロスの詩「イリアス」にある、古代ギリシャの伝統的なトロイア戦争で、スパルタの王妃がトロイアの王子に誘拐された事に原因し、王妃を奪還する為にギリシャの王侯が10年間の攻囲の後、木馬に兵を潜ませる奇計を企てトロイアを破壊したと伝えられています

   のどかさや木馬繕ふ木槌の音

   三十年目の木馬修復春光に

   エスカルゴ春日に這ひて遺跡道

   暖かや遺跡にででむし浮かれ出づ

   春風や遺跡ガイドの野犬たち

 トロイの木馬は折りしも30年毎の修復中のため、残念ながら木馬内部には入場できませんでしたが、修復工事の木組みの足場に囲まれ、のんびりしたトルコ気質の修復工事現場に出会うとは、むしろ奇遇であり、私の生存中には見られない貴重な光景でした

 大理石の遺跡道には4cmあまりのエスカルゴがあちこちに、のんびり這っていたのです。 トルコの遺跡めぐりには、どこへ行ってもシェパードとか、ポインター等の大型で見るからに立派な野犬群が先導したり、終始付き纏っていたのには驚きました。 日本では考えられません。

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トルコの旅日記 ~その1~

Torukoburuu_4今年2007年3月  大理石をふんだんに使用した古代遺跡、 奇岩群が織り成すダイナミックに圧倒されたカッパドキア自然遺産、静寂破る荘厳なコーランの響き、エキゾチックな遥かなトルコの旅を楽しみました。トルコの魅力は、とても一言では言い尽くせません。

その感動を画像を添えて 「俳句」 で表現してみました。

イスタンブール

  トルコブルーの彩なすタイル春の城

  コーランの響き渡りぬ春暁に

  宮殿の螺鈿の扉春光る

  七彩の春光放つ螺鈿の戸

  宝物の金銀貴石春の燭

15世紀~19世紀にかけてオスマン帝国の中心であった絢爛豪華なトプカプ宮殿にオスマン王朝の栄華を見る。 トプカプ宮殿 美しいイズニックタイルと大理石のハーレム。 トルコブルーの真髄。

  春風や子供の笑顔集ひ寄る

宮殿見学後十数人の子供たちの笑顔に囲まれて、私たち老女は、女優?扱いのように歓迎されました。 トルコは親日家が多い。

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数字 「28」 が気になる私

 唐突ではありますが、何故か 「28」 という数字が気になります。

中・高生のころ、スポーツには縁遠い私でしたが、ある高校のバスケットボールの観戦で、ユニフォームの背番号28の飛躍的な活動を目のあたりにして以来、妙に 「28」 という数字に不思議な感慨を覚えるようになりました。

 子供の頃から算数・数学は大の苦手で、できれば避けて通りたい学科でした。 この年になっても、数学の試験に悪戦苦闘し、ハット!目の覚める夢をよく見るのです。 

 平成十六年夏の頃、全国の本屋さんが一番読んで欲しい本 「本屋大賞」第一回作品に輝いた 小川洋子著 「博士の愛した数式」 に、この本のキーワードとなっている 「28」 という文字が書かれているだけで、ためらいもなく購入し、難しい数式は飛ばして 「28」 のみにこだわって読み終えました。     この本の博士が云うのに、28は「完全数」 なのです。

 完全数とは、約数の和が同一になる数だそうです。                 28=1+2+4+7+14 このように、約数の和が同一になる数は、6,28、 その次は 469 までは無いのです。 ですから、完全の意味を実際に表現すれば、つまり 「幸運をもたらす数字」 だという事です。

 平成十六年(2004年)アテネオリンピックが開催された時、 「この大会が28回目であり、 28の競技で開催されます。 しかも私は28歳、何だかいい事がありそう!!」 と頼もしいセリフを吐いて、ラッキーな数字を背負って、連覇を果たした柔道の谷亮子選手を思い出します。

 私たちの大事な肌、特に直接外界に接し、様々な刺激に脅かされている表皮は、常に新陳代謝を繰り返していることは誰でも知っていますが、この肌の新陳代謝を 「ターンオーバー」 といって、およそ28日の周期で1ターンします。  私たち女性も出産までの日数は、一ヶ月を28日として計算されているようですので、森羅万象 「28」 は不思議な因果関係をもっている数字なのです。

 博士や谷選手とは比べるべくもありませんが、「28」 を目にした時、わたしは癒しを感じ、なぜがホットした気分になるのです。 私自身28歳で夫を亡くした時、その悲しみの中、再起が蘇り、それから28年目の58歳の時、青天の霹靂を乗り切る幸運を得て、ささやかながら今の自分がある事をしみじみ味わっているのです。

 「28」 という数は、私に再起を促し、幸運を運んでくれる数字のようです。  気が付けば、このブログにデビューした日も偶然 聖五月の28日であることも、幸運の兆しと思えてなりません。

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羽抜鳥ってどんな鳥?

  羽抜鳥・・・(はぬけどり) とはどんな鳥?

 友人が属している俳句会の6月の季題に 「羽抜鳥」 が出されました。   とっさに私は、今どき難しい季題を出された友人はさぞ困惑しているのでは?・・・  私だったらどうしましょう! と思ったのです。

 「羽抜鳥」 ってどんな鳥? 現代っ子はきっとこう質問するでしょう。     おぼろげながらも判っているのは昭和の一桁生まれまでの方ではないでしょうか。  しかも農業とか養鶏業を営んでいらっしゃる処で無い限り、街なかでは見かける事もないのですから、、、、、。

 終戦直後、私がまだ中学生の頃、食糧難に喘いでいた我が家でも、街なかにもかかわらず数羽の鶏を飼っておりました。 大根の葉を刻み、糠と牡蠣の殻の粉末を混ぜての餌係りが私たち姉弟の役目でした。 ある日、鳥肌もあらわにすっかり羽が抜け落ち、鶏冠の色も褪せ。餌も食べずに小屋の隅にキョトンとしているニワトリを見て、死んでしまうのではないかと大変心配したのでした。  母から 「鳥屋ごもり」(とやごもり) と、聞かされました。

 一般に鳥類の羽毛の抜け替わる時期は、春から夏に及ぶようです。 最も身近に鶏がいて、姿も大きいので目に付きます。 今までのふっくらとした羽毛を落として、しわしわの朱い地肌の頸部を露出させ、すっかりやせ細った我が身を疑うように見る己が姿に、おじけて立ち止まって考え込む仕草は、人間から見れば、おかしみの中に、一抹の哀れさを誘います。 後に俳句を学ぶようになって、 夏の季語 「羽抜鳥」・「鳥屋ごもり(とやごもり)」 と知りました。

 それにしても、いまどき「羽抜鳥」を詠めって云われても 「さて、どうしたものか?」 見てきたような五・七・五を読んだとしても、いかにもわざとらしい。   

   例句を挙げてみましょう。

    羽抜鳥身を細うしてかけりけり    高浜虚子

    はばたける朱き腋見ゆ羽抜鳥    山口誓子

    一塊の肉羽ばたきて羽抜鳥     福田蓼汀                

ほとんどの例句は、その目で見た実際の羽抜鳥を詠んだ句が多いのです。  インターネットで最近の例句を調べてみましたが、やはり 「羽抜鳥」の句は極わめて稀でした。「肝心のことを忘れて羽抜鳥」 「子を叱る我が心持ち羽抜鳥」 のように、羽抜鳥を比喩した俳句がやっと見受けられました。

 しかし 羽抜鳥よ! 決してひるむなかれ! 羽が抜け替わった暁には、前よりも姿が立派になる「鳥屋勝り(とやまさり)」となるのですから、、、。

 私は、いま、引き篭もりの「羽抜鳥さん」にエールを贈ります。

   耐えてこそ明日は陽の射す羽抜鳥

   羽抜鳥朝の来ぬ日の夜は無し       ぽち女

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